2017.03.21
冷凍手毬寿司の挑戦から見えたこと【前編】
飲み仲間の実家のすごい技「冷凍手毬寿司」を世界へ!
友だち関係のなかから始まったビジネスは、
「冷凍手毬寿司」を海外に展開すること。
「冷凍の寿司」というと、日本人としては食指が動かない。
でも外国を低く見ているわけではなく、十分な理由と戦略があった。
2017.03.21
飲み仲間の実家のすごい技「冷凍手毬寿司」を世界へ!
友だち関係のなかから始まったビジネスは、
「冷凍手毬寿司」を海外に展開すること。
「冷凍の寿司」というと、日本人としては食指が動かない。
でも外国を低く見ているわけではなく、十分な理由と戦略があった。
1980年生まれ。11〜18歳までアメリカ・サンディエゴで過ごす。慶応義塾大学卒業後、株式会社電通に勤務。2012年より株式会社THINK GREEN PRODUCE。2015年よりTOKYOEDGE.を立ち上げる。食やファッション、カルチャーを軸としたコンテンツの企画、開発、プロデュースを行う。またメディア開発やPRなどのプランニングも行う。
Paragraph 01
東京・広尾に旧厚生省公務員宿舎をリノベーションした施設がある。
その3階の広々したギャラリースペースで、今年11月、ある展示会が開催された。題して「NEWWESTS Chronicle」。
陶器、木工家具、木のスプーン、有機農法のワイン、地産地消の燻製レストラン、船の帆を使ったバッグ、江戸時代に磁器を初めて大衆化した焼きもの、サードウェーブコーヒーショップに愛される陶器工房……。
“WEST”が意味するところは、もちろん“西”だ。だが、アメリカと日本それぞれの“西”。西海岸と西日本の、志あるクラフトマンたちと、彼らの作ったものを“西”をキーワードに繋ごうとする試みである。詳しい紹介は後編に譲るとして、この展示会を自ら企画し立ち上げたのが、このものがたりの主人公・引地かいさんである。
今はこのプロジェクトに本腰を入れているが、2014~2015年にかけてはシンガポールに「京都の手鞠寿司」を売ろうと試みた。
「海外への販路開拓のために自分が何かをやったか、というのは全体のストーリー作りなんです。結局のところ、こうしたブランディングや、マーケティング、コミュニケーションの仕事は、“何を誰にどう言うか”っていうところでしかないんですよね」
結論めいたことを、たたみかけるように、でも軽快に言う。
インタビューを始めて、我々がじわじわと持ちつつあった印象を、我々が口にするより先に、引地さん自身が話題に挙げてくれた。
すなわち……
「僕ね、“オマエ、何者?” ってよく言われるんですよ」と。
彼の生き方は、そのまま彼のビジネスに直結しているのであった。ということで、まず本題「京都の手鞠寿司」に入る前に、「引地さんとはなんぞや」、というところにフォーカスしてみたい。
引地さんは電通出身である、というと、もしかしたら何かわかった気になる人もいるかもしれない。でも、それだけではない。
引地さんは、大手電機メーカーのエンジニアだったお父さんの仕事の関係で、十代の大半を米・カリフォルニア州のサンディエゴで過ごした。アメリカに渡ってすぐ、英語も話せない状況で現地の普通の学校に転校したという。で、小・中・高校時代を、現地の子どもたちと同じ環境で過ごし、アメリカンな価値観を自然に吸収しながら育ったという。そして17歳で帰国。慶応義塾大学を経て、電通に入る。
「もともと絵を描いてたんです。それでポスターとか、何かクリエイティブ系の仕事がしたくて広告代理店に就職しました。でも配属されたのは雑誌局。ファッションブランドを担当し、メディアプランを立案するという仕事をしてきました」
ブランドのテイストや予算にあわせて、どんな雑誌にどうやって広告を入れるべきかを企画して提案をするお仕事。それを9年間続け、ブランドの価値の広め方や露出の仕方、コミュニケーション術、交渉術を学んできた。そして東日本大震災が起きた。
「目の前でいろいろなものが崩れるのを見て、“やべえ、安定したものなんてなにもないんだ!”って。電通で携わってきた仕事もすごく楽しくてやりがいがあったんですけど、結局は誰かのものを誰かの予算で誰かにアピールするっていう、比較的“他人事”感の強いものだったんですよね。それよりも、もっと身近なもの、リアルな実感を持って仕事をしたいと思うようになったんです」
それで電通をやめた。具体的にやることはあった。当時のパートナーがワークショップのレベルで展開していたグリーンスムージーを、実店舗として世に出すプロジェクトに参加した。この時に入ったのが、「THINK GREEN PRODUCE」という会社。「世界一の朝食」と呼ばれる『ビルズ』を、日本に紹介するきっかけを作った企業で、引地さん自身も飲食店の運営やイベントに関わることになる。
「ここではいろいろやりましたよ。グリーンスムージースタンドのプロデュース・運営、鎌倉のレストラン『GARDEN HOUSE』の企画・運営にクライアントのイベントプロデュース。あと、ケータリングにもみっちり取り組みましたね。実はこの頃まで、アメリカの友だちとは交流が途絶えていたんですけど、その会社でサンフランシスコの飲食店を日本に持ってくるというプロジェクトがあって、そのアテンドをした関係で15年ぶりにカリフォルニアとつながったんです」
*1
引地かいがディレクターを務める、アメリカ西海岸と西日本の若きクラフトマンをつなぐプロジェクト。地産地消や伝統的技法、人や自然との有機的なつながりを大事にする、ふたつのエリアの共通の価値観を「情報」と「体験」で伝えるメディアサイトも展開。
NEWWESTS Chronicle
*2
「URBAN GREEN LIFE」をコンセプトに、自然やコミュニティなど環境に配慮した都市生活をプロデュース。
東京都港区海岸にあるクリエイティブスポット「TABLOID」や鎌倉の複合施設「GARDEN HOUSE」などを手がける。
THINK GREEN PRODUCE
日本・東京
住所:〒150-0001 東京都渋谷区神宮前2-31-7 VILLA GLORIA #201
TEL 03-6438-9763
http://www.tgp.co.jp/
Paragraph 02
その後、生活環境が大きく変わり、お子さんの誕生を機に会社を退社。子育てに注力しようとしたのだという。それが2年前の話。
でも、専業主夫というわけではなかった。企画・プロデュースの仕事を在宅ベースで始めた。
例えばこんな感じで。
「友だちのクリエーターが“トークショーやりたいな”っていうとします。僕は相談に乗り、目的を整理し、場所の目処を立て、どんな内容にするのかを企画し、ターゲットを設定し、集客方法を考える。この場合は、クリエーターのSNSフォロワーが数万人いたので、そこで告知をし、問い合わせ先は僕のメルアドにして、参加費1人3000円で、30枚目標。その売上9万円のうち場所代がいくらで、ゲストにいくらで、クリエーターの取り分はいくらと明確にする……、そしてそのプランを4枚ぐらいの企画書にまとめるんです。相手が必要なことを整理し、伝わるように設計する。これですんなりものごとは前進する」
実は電通の頃からやっている内容はほぼ変わらないのだという。
「やりたいことのイメージはみんな明確に持っている。実はゴールもそう遠くはない。ただそこに至るのにどんなステップがあって、どういう中間地点をたどっていけばいいのかがみえていないだけなんです。僕がやっているのは、それを提示して文書化して示すということ。ただ(電通時代と)大きく違うのは、規模であり“何でもかんでもマスに出すのではない”という点。とにかくマスにアピールして大きく得ることができればいいわけではなくって、そのものが持つ魅力を、本当にわかってもらえるように広げていくことができれば面白いよねって、そんなふうにコンテンツを扱うようになってきています」
友だちのクリエーターしかり、身の回りに、そういう人々やコンテンツや案件がゴロゴロしていて、実はこの3年間、仕事を断り続けていたそうだ。育児で多忙なのはもちろんだけど、規模的にマスで攻めたほうが良いものや、自身で取り扱って広げていく理屈がないようなものが少なくなかったから。
手毬寿司も、実はそんなふうに引地さんの身の回りから、ポンと飛び出してきた案件だった。
Paragraph 03
株式会社三嶋フーズは、昭和50年の設立。大阪府東大阪市を地盤に、京都の有名料亭や、大阪のホテル、結婚式場、デパートなどへ料理提供を提供してきた食品加工卸の会社である。「プロトン凍結」という技術を導入し、冷凍の手毬寿司で2008年度農林水産大臣賞を受賞している。ものすごく簡単に言うと、冷凍時に電磁波を当てることで微振動を起こし、冷凍するときに大きな氷の粒ができず、細胞も破壊されない手法。そうすることで解凍時に食品の大事な成分が流出しないので、美味しさが保てるというもの。手毬寿司も丸ごと冷凍できて、そのまま解凍して、美味しくいただけるのである。
この三嶋フーズの後継者兄弟は東京でファッションブランドを展開していて、引地さん、彼らとたまたま飲み友達だったのだ。
「“うちの実家、食品やってんねん”という話は前から聞いていて、実はMORE THAN PROJECTの話も三嶋君から聞いたんです。それでプロデューサーとして参加することを依頼されて、ものは試しと会社に行ってみたら、これがすごかったんですね。お父さんが経営者だったんですけど、食関連のことは僕も詳しかったんで話も盛り上がり(笑)。三嶋フーズは本当にたくさんの品目を扱っていて、なんだったら料亭丸ごと海外に持っていくことができるほどだったんですけど、これは絶対に“手毬寿司”だと思ったんです」
プロトン凍結の設備は実用化され、市販されている。だがそれを寿司に応用しているのが三嶋フーズのユニークさ。
「この寿司を予備知識なしで食べると普通に美味しいんですよね。……っていうのは、実はものすごいことなのではないかと。もちろん、鮮度やうまさという点で日本の高級寿司と戦えるわけではありません。ここの手毬寿司の強みは、自然解凍ができる寿司である点。つまり提供する場所を選ばない。かつ、ある程度のクオリティは担保できる。そういう強みのあるものが活躍する場所はどこだろう……と考えた時に、海外だろう!と」
さらにあらためて「手毬寿司とは何か」と調べてみたら、そもそもが京都の花街の発祥。芸妓さんがお化粧をした状態で、おちょぼ口でも食べられるように小さく丸い形状に改良した寿司だということが判明する。それで手毬寿司のストーリーは一気に加速した。
「つまり“GEISHAが食べてたJapanese Traditonal Party Finger Foodなんだよ!”と世界にアピールできると思いました。これを海外で“クールジャパン”とか“KAWAII”っていう文脈で日本を取り上げているようなイベントとかパーティーとかレストランに出したらどうだろうか、と」
その上で、もうひとつ上乗せする仕掛けを思いついた。
*1
西の台所、大阪で、料亭やホテルへの業務用高級食材の製造卸しを行なう食品加工メーカー。素材の劣化をおさえる先端の冷凍設備を完備し、高い技術力で新たな商品も続々開発。お土産にも適した手毬寿司が2008年農林水産大臣賞を受賞した。
株式会社三嶋フーズ
日本・大阪
住所:大阪府東大阪市長田東3-3-45
TEL 06-6745-3422
http://www.mishimafoods.com/
Paragraph 04
「世界的な健康ブームの流れもあり、日本食って本当に注目されているんです。寿司はそもそもヘルシーだと思われている。その“ヘルシー”をさらに際立たせるために、世界では定着しつつあるヴィーガンというものをうまく突き合わせてみることを思いついたんです」
ヴィーガンとは、「完全菜食主義」のこと。肉や魚を食べないだけでなく、卵も酪農製品もはちみつも摂らない食事方法のことをいう。引地さんによると、「世界には、日本食=ヴィーガンと勘違いしている人たちすらいる」とのことで、「だったらリアルにヴィーガンにしちゃおう!」と。
そこで、三嶋フーズから「同級生やねん」と、京都の完全無添加のお漬物屋さん『まるたけ』を紹介され、寿司ネタとしてお漬物が急浮上する。
実は引地さん、ただ流行ってるからヴィーガンに飛びついたわけではなく、そもそもヴィーガンの料理が好きで、世間に広めたいと『ザ・ヴィーガンズ・アンド・サンズ』と題した、男ががっつり食べられるヴィーガン料理のイベントを3年にわたって開催していたという。この時にメニューを担当していたのが、飲食店のプロデュースや商品開発を手がける、食のクリエイティブチーム「EAT TOKYO」主宰の齋藤優さん。彼が、オーガニックな京都のお漬物と三嶋フーズの冷凍手毬寿司のマリアージュを行った。
そして、以下のメニューが誕生した。
1.刻み壬生菜古漬けと生姜
2.白菜包みに刻み柚子
3.花型の桜色大根に梅
4.千切りセロリときゅうりに穂紫蘇
5.角切りの沢庵と柴漬けの市松
6.きのこと粒山椒の佃煮
7.銀杏かぼちゃとごま
8.花みょうがととろろ昆布
「これをベースに最終的には三嶋フーズ側が5つ選ぶことになるんですが、内容的にはすんなりいきました。それはそうですよね。もともと親和性の高い両者でしたから。むしろ僕のほうが、海外仕様にもっとスパイシーにすべきとか生姜増量とかのオーダーを出していたぐらいで(笑)」
これが2014年の秋のこと。引地さん、当時を振り返る。
「そもそも三嶋フーズの手毬寿司は商品として優れていたんです。単体ではおいしいしかわいいし、申し分ない。それを海外に持ち出すときになんて言うか、を考えたんです。直接個人に販売するにはパッケージデザインやゼロからのPRも必要。本職の寿司職人を入れられるバジェットのところに勝負は挑まない。僕、以前、日本の有名ブランドの海外展オープニングに参加したことがあるんですが、日本から職人呼んでマグロの解体ショーやりましたからね。あれは盛り上がるけど、僕らが勝負すべき領域ではない(笑)。日系のイベント会社とかプロダクションとか、クールジャパンのために日本から派遣されている人たちはいっぱいいて、彼らが発信しているPRに相乗りさせてもらって売ろうと考えたんです。自分たちは、B TO Bでいいと。だからそういうところに納入するケータリング会社に手毬寿司を売ろうと。手毬寿司の背景は、さっき言った通りですよね。そうした一連のストーリーをちゃんと作ってあげて、誰に何を言うべきかというところを押さえておけば、僕の仕事は8割がた終わっているわけです」
と、いうような要件を満たす売り込み先として、実は最初はアメリカを考えていた。日本文化への造詣は深いし、需要も高い。引地さん自身、10代を過ごしたこともあり、様々なコネクションも活用できる。だが、アメリカ計画は頓挫する。食品検疫のハードルがあまりに高くて、米も寿司ネタも何にもうまく持ち込めなかったのだ。
だがすぐに、シンガポールに切り替え、新たな作戦が始まった。これには非常に明快な理由があった。
*1
2012年より東京恵比寿から始まったプロジェクト。「肉を食べない」のではなく「おいしい野菜を食べる」というポジティブなアプローチでイベントやワークショップを企画し、新しい料理の選択肢の一つとしてヴィーガン料理を提案している。
ザ・ヴィーガンズ・アンド・サンズ
*2
食にまつわるすべてを解決するフードクリエイティブエージェンシー。食関連のクリエイターとのつながりが広く、メニュー開発から商品の撮影、イベントの企画などを通して、「食のクリエイティビティ」を発信している。
EAT TOKYO
日本・東京
住所:東京都渋谷区恵比寿西2-5-2 今村ビル3階
http://eattokyo.jp/