2016.07.25
上質で日本の技術が息づいた江戸小紋。“素材”としての世界進出への旅路。【後編】
ビジネス面のギャップから見出した、モノから素材への転換
東京の地場産業・江戸小紋をムスリム社会に売る!
イスラム女性の使う「ヒジャブ」にしようという空想は、現実の前に頓挫した……かのように見えた。だが、狙いを定めたマレーシアには別の可能性があった。
このチームが、いかに本質を変えずに方向を変え、成功を収めたかをご紹介する。
2016.07.25
ビジネス面のギャップから見出した、モノから素材への転換
東京の地場産業・江戸小紋をムスリム社会に売る!
イスラム女性の使う「ヒジャブ」にしようという空想は、現実の前に頓挫した……かのように見えた。だが、狙いを定めたマレーシアには別の可能性があった。
このチームが、いかに本質を変えずに方向を変え、成功を収めたかをご紹介する。
大学卒業後、株式会社セリク入社。フランスの技術や商品を日本企業に導入する仕事に携わる。その後モナコ大学でMBAを取得し、2006年より株式会社ホンダコンサルティングに。HONDAグループの経営再建を行う。2011年、株式会社Culture Generation Japanを設立。東京都美術館との『Tokyo Crafts&Design』ほか、伝統工芸品やその技術を国内外へ広く紹介している。TCI研究所・西堀耕太郎氏と共に、中小機構による「Next Market In」事業を進める。2016年には、パリ・マレ地区に日本の技術をフランスに発信する「アトリエ・ブランマント」設立に参画する。
Paragraph 01
『富田染工芸』の江戸小紋生地をヒジャブにする計画は、最初の現地視察で暗礁に乗り上げた。
だが、そもそも堀田さんには別の考えがあった。正直、ヒジャブはきっかけであり、より重要なのは、ムスリム市場に江戸小紋をいかにして売るか、ということだった。
「一応、最初から富田さんには確認を取ってありました。『ヒジャブは可能性の一つですよ』って。僕も確かにムスリム市場に入っていくにはいいアイテムだと思っていましたが、同じぐらい強いモチベーションを持っていたのが、『江戸小紋を生地として売れないか』ということでした」
これには前段がある。
富田さんと堀田さんの幾度かのタッグのひとつとして、中小企業庁主催の「海外専門家招聘支援事業(ネクストマーケットイン事業)」というものがあった。富田さんの江戸小紋はドイツのInes Blumeさんのデザインで、ストールになってヨーロッパデビューしていた。現地の展示会に出品され、買い付けも入った。
「でもこの時に、商品として売ることの限界を実感しました。というのは、製品化して出すと、どれだけ安く見積もっても上代が250ユーロほどになってしまうんです。これはヨーロッパのハイブランドのストールと同価格帯。日本好きや珍しいもの好きなごく一部の人は買ってくれるでしょうけど、ハイブランドと比べると、不利です」
アパレルに江戸小紋を素材として販売する道はないかと、密かに考えていたのだ。現地のデザイナーとのセッションは、そもそもそのために仕込んでおいたものだった。
「レディースのドレスなどを主に作っている方で、直前のコレクションでは、西陣の着物をリユースしたり、折り紙にインスパイアされたデザインを発表されていて。実際にお店に伺って作品を見たら、ヒジャブよりもはるかに可能性が高いとわかったんです。その場で、江戸小紋の生地を素材にコレクションを作ることは可能か打診しました」
Paragraph 02
ところが、このデザイナーとは破談してしまう。夏に会い、年末近くまで商談を引っ張った挙句である。この時のことは、堀田さんのなかで、アジアでビジネスをする際の大きな反省材料になっているという。
「コーディネーターには『マレーシアってそんな感じだよ』って言われました。マレーシアの人は商談で駆け引きをするのが普通なんですね。ヨーロッパではミーティングで契約内容についてある程度固められたら、書面で改めて確認し、サインするわけですが、今回破談になった人は、ミーティングで合意した件を、書面でひっくり返してきた(笑)。粘らなければ損みたいな感じで。『じゃあ降りる』っていうと、『スマン悪かった!』って。そんなやりとりで時間を食って、最終的にダメになりました」
ただし、マレーシアのアパレルに生地を提供するという道筋は見えた。昨年末に破談した後、堀田さんはすぐに新しいデザイナー探しに着手。最初のデザイナーとの交渉のなかで、より具体的なビジョンを得ていた。堀田さんが新しいデザイナーに投げかけたのは「WIN-WINの関係になりましょう」ということ。そのために、以前出した「自ら販路を持つ」というだけでなく、多少のブランド力も求めた。
「僕らはあなたのマレーシアでの認知度や人気を使って『富田』の素材を売りたい。あなたは『富田』の名を使ってクロスブランディングで洋服を販売してほしい。それを僕たちは逆輸入する努力をする。あなたたちが日本市場に進出する時、何の“材料”もないと厳しいけど、東京が誇る伝統工芸の江戸小紋とコラボレーションしていて、現地の若い人たちに支持されていることは十分フックになる。そんな関係になりたいって、伝えてほしい。そう言ったんです」
すると「デザイナーを二人起用してはどうか」と、コーディネーターから逆に提案されたという。「予算も余計にかかるしもったいないな」と軽く考えていた堀田さん、だが話を深く聞いて膝を打った。
ヒジャブに始まり、「ムスリム市場に打って出る」という目的があったことで、むしろ近視眼的になっていたのかもしれない。
マレーシアはそもそも多民族国家なのである。人口の約65%を占めるマレー系に対し、華人系は約24%。イスラムは国教だが、華人系の多くは仏教で、民族によってテイストも違うし、カルチャーも違えば販路も違うのである。だからどうせマレーシアに進出するなら、あえて華僑系にも同時に売り込んでおくほうが合理的なのだ。
そして、ムスリム系のリコ・リナルディさんと、華僑系のセレス・ツォイさん、二人のデザイナーを得た。先に言ってしまうと、下のほうにリコさんとセレスさん、それぞれが富田染工芸の江戸小紋をどんなふうに扱ったか、という回答がある。なぜ二人必要だったかは一目瞭然だろう。
ムスリム系のリコ・リナルディさんデザインによるルック写真
華僑系のセレス・ツォイさんデザインによるルック写真
*1
マレーシアのマーケットはムスリム系と華僑系のハイブリッド、商戦はラマダン明け
マレーシアを含むASEANは、華僑ビジネスとマレー系既得権益層のハイブリッドなマーケットだと言われる。また、例年、イスラム圏では6月上旬からラマダンと呼ばれる1ヶ月の断食を行う。そして、ラマダン明けには“ハリラヤ”と呼ばれる大きな休暇がある。このラマダンからハリラヤ休暇までの1ヶ月間は、“ラマダン商戦”と言われ、1年間で最も個人消費が増えると言われている。
マレーシアのビジネス情報とジェトロの支援サービス
https://www.jetro.go.jp/world/asia/my/
Paragraph 03
新しいデザイナーとの交渉は、日本から遠隔で行った。資料やポートフォリオを取り寄せ、スカイプで話をし、「彼らとなら仕事がしたいという気になれた」と堀田さんも太鼓判を押した。もちろん、前のデザイナーの轍(てつ)は踏まない。きちんきちんと文書で確認しながら交渉を進めた。
1月にリコさんを、3月になってセレスさんを日本に呼日、今度は実際に富田染工芸の技を見てもらうことにした。リコさんは2日間、セレスさんは3日間、富田さんの仕事場に通って、江戸小紋がいかに生み出されるか、12万型を誇る型紙にはどんなデザインがあるか、そして果たしてそれらがマレーシアのマーケットに合う素材となるかと判断してもらったという。
「リコさんはすぐに盛り上がって。通常は、既存型の中からデザインを選んで新しく染める。でも、リコさん、すぐに反物が欲しいと。それで5月には製品化したいって言うんですね。というのは、マレーシア最大の商戦がラマダン前だから。ラマダンはイスラムの断食時期で、その後がハリラヤというバケーションなんですが、それに備えてみんなラマダン後にすごく買い物をする。イスラム最大の商戦はラマダン前らしいんです。だからどうしてもそこに富田との新作を投入したいと。リコさん、タンスにストックされてた生地を選んで喜んで持ち帰りました」
リコさんが気に入ったのは「和柄なのに、和柄すぎない点。ヒジャブなどでマレーシアに流通しているオーソドックスな和柄とは一線を画した日本っぽいコンテンポラリーさ」だそう。
そして華僑系のセレスさんは、じっくりと富田さんたちと話をし、新しい生地をオーダーして帰った。なぜなら、ラマダンに間にあわせる必要がないから。
今回は、堀田さんがすべて窓口になっている。二人のデザイナー来日時のアテンドはもちろん、彼らがオーダーした生地の進捗状況や仕上がりに関しての交渉も。その際には、堀田さんが富田さんのところに出かけて行き、スカイプでマレーシアとやり取りをしたという。
かくして2016年5月24日、「SUMMERAYA2016」と題したリコ・リナルディ×富田染工芸のコレクションは完成。
遅れること約3ヶ月、マレーシア最大のファッションイベント『マレーシア・ファッションウィーク』で、セレス・ツォイ×富田染工芸のコレクションも発表された。
『マレーシア・ファッションウィーク』で発表された、セレス・ツォイ×富田染工芸のコレクション
最初に富田篤さんが「ヒジャブ」を叫んでからここまで、おおよそ1年4ヶ月でたどり着いた。
「今はまだトライアルなのでレベニューシェアでの取引です。素材と工賃はこちらもちで無償提供。売り上げは折半します。今後は素材を仕入れていただく、というところに移行していきます。ビジネスモデルとしては弊社で富田さんの江戸小紋を仕入れて、マレーシアに販売するという形に今後はなっていきますね。リコさんのほうは、すでに反響もあって素材の追加発注を受けています」
Paragraph 04
堀田さんもようやくほっと一息なのだが、ここからは次のフェーズが待っている。
「この間、リコさんの関係で現地のファッション誌に紹介されたのですが、今はコーディネーターが現地のメディアのネットワークを構築しているところです。それを利用して今度は僕と富田さんのネットワークで、商品を日本に持ってこようと。
「最初にも言ったんですが、現地をよく知る人間をチームに入れて協働するっていうのは、本当に大切ですね。ヒジャブ屋さんを紹介してもらうぐらいなら誰でもできますが、現地の文化や商習慣を知り、現地の人間のネットワークを持っている人。ここは譲れない部分ですね。今回で言うと、販売という出口とメディア。今回は最初から同じコーディネーターさんと組んできました。プロジェクトの重要な部分になるところを、最初からどれだけイメージできるかが勝負ですね。過去に経験があればこそ、全体像がわかるので、そこから必要な条件を抽出することができる。メーカーさんだけでは、そこが分からない可能性が高いでしょうね。メーカーさんがいて、コーディネーターさんがいて……じゃあ僕は何の役割なのかって聞かれると、チーム作りです。ファンディング含め、舞台をどう組めるか。そこがうまくいけばある程度打率は上がっていくと思っています」
堀田さん、今回のプロジェクトを通して、再認識したことがあるそうだ。
「リコさんが、富田さんのタンスの肥やしになっていた反物を抱えて帰るのを見て、気づいたんです。やっぱり生地は反物で売った方がいいと。ストールが高くつくのは、生地を通常の反物として売れないから。どうしても素材にロスが出る。富田染工芸は着物屋さんなので、生地は反物の体裁で売るのがもっとも効率が良いんですね。自前で加工することなくアパレルに提供するのが、そもそもの商いの仕方に合っているし、富田さんの高い技術をより海外に紹介しやすい形なんだなと」
Paragraph 05
さて、今後の展開だが、まず富田さんとのプロジェクトはどう続いていくのか。
「ビジネスモデルとしては僕が富田さんから生地を仕入れてリコさんとセレスさんに売る形になります。そういう意味ではずっと携わり続けますが、少しずつ、実は富田さんの息子さんにバトンを渡していこうと考えています。これは自分の負荷を減らすというだけでなく、息子さんがきちんと加わることで富田染工芸という会社としてのプロジェクトであるということを明確にしようとしているんです」
そして、「素材を世界に売る」という姿勢。
「マレーシアの件が一応のパイロットケースとしてうまく走り始めているので、新しいマーケットに向けて同じようなスキームで規模を大きくしてできないかと。素材を売るという可能性は魅力的ですね。まず、香港です。香港に台湾・香港・東南アジアのブランドを中国大陸中心に売っていくショールームがありますので、その枠組みを使って、日本の素材をアジアのファッションブランドに提供していければと。あとはヨーロッパでは、京都の西陣とか丹後の生地をヨーロッパのハイブランドに提供する動きを始めています。今年それはパリに開いた『アトリエ・ブランマント』というショールームがあり、総合ディレクターをフランス本国のエルメス副社長だった齋藤峰明さんにお願いしています。それで現役のエルメスのアートディレクターがチームに入ってくださっていて、エルメスももちろんそうですし、さまざまななハイブランドに生地を入れていこうと考えています。これから素材をB to Bで売っていくのが可能性としてすごくあるという気がしますね」
TEXT:武田篤典