2017.03.21
廃業の危機の乗り越え世界に販路を拓いた京和傘屋の物語【前編】
年商約100万円から老舗ベンチャーとして復活するまで。
約160年の歴史を誇る京和傘屋、日吉屋。90年代後半に年収100万円まで落ち込んだ老舗を救い、海外販路を築くまでの成功に導いたのは元公務員という異色の経歴を持つ西堀耕太郎さんだ。現在五代目として活躍する西堀さんに復活のヒストリーを訊いた。
2017.03.21
年商約100万円から老舗ベンチャーとして復活するまで。
約160年の歴史を誇る京和傘屋、日吉屋。90年代後半に年収100万円まで落ち込んだ老舗を救い、海外販路を築くまでの成功に導いたのは元公務員という異色の経歴を持つ西堀耕太郎さんだ。現在五代目として活躍する西堀さんに復活のヒストリーを訊いた。
株式会社日吉屋 五代目/TCI研究所 代表
http://www.wagasa.com/
http://www.tci-lab.com/
1974年、和歌山県新宮市に生まれる。京和傘製造元「日吉屋」五代目。「伝統は革新の連続である」を企業理念に掲げ、伝統的和傘の継承と、和傘の技術と構造を活かした新商品を開発し海外市場を開拓。2012年、日吉屋で培った経験とネットワークを活かして、日本の伝統工芸や中小企業の海外展開を支援するTCI研究所を設立。
Paragraph 01
西本願寺、二条城と沿道に2つの世界遺産を擁する京都堀川通を北上し、寺院が集まる寺之内通を東へ折れてすぐの場所に日吉屋はある。江戸時代後期に初代当主、西堀墨蔵氏が起こした傘屋を、二代目与三次郎氏が移転させて以来、三代目伊三郎氏、四代目江美子氏と百数十年にわたって、ここで京和傘を作り続けてきた。
今回の主人公、五代目・西堀耕太郎さんによると、日本に傘が伝来したのは平安時代以前のこと。当初は雨具ではなく、日除けや魔除けとして使用されていたらしい。安土桃山時代には、開閉式のものが作られ、江戸時代中頃には庶民が使う簡素な番傘から、デザイン製の高い蛇の目傘が登場。一気に広まったという。西堀さんから資料の浮世絵を見せてもらうと、なるほど、カラフルな傘を持つキャラクターが描かれている。
鈴木春信「雪中相合傘」
「これは今で言うファッション雑誌なんです。都や江戸の最新の装いを木版印刷して、『こういうのが流行ってるんですよ』と伝えていました。昔の浮世絵には、頻繁に和傘が出てきます。歌舞伎の人気演目『助六』にも、主人公が蛇の目傘を開いて見栄を切るシーンがあり、江戸時代の人たちは、それを見て「粋でかっこいい」と思い、同じ和傘を買い求めたわけです。今の芸能人が身につけた装飾品が人気になるのとまったく一緒です。人間の消費行動と言うのはあまり変わらないですよね」
江戸時代に広まった和傘は昭和20年代に最盛期を迎える。全国で年間約1,700万本製作され、日吉屋も4~50人の職人を擁し支店が存在したそうだ。
「日常生活品で皆さん使ってくれるから、結構売れたらしいんです。ところが戦後の高度成長期に合わせ生活様式が西洋化し、急激に使われなくなっていきました。ぼくが日吉屋と出会った時、年間の売上は100万円程度まで落ち込んでいました」
*1
伝統と革新をテーマに掲げる、唯一の京和傘の老舗であり、老舗ベンチャーでもある「日吉屋」。ファッション、インテリアなど異ジャンルとのコラボレーション作品も数多く手がけ、国内外で高い評価を得る。和風照明「古都里 -KOTORI-」が、2007年のグッドデザイン賞・中小企業庁長官特別賞を受賞。
株式会社 日吉屋
日本・京都
住所:京都市上京区寺之内通堀川東入ル百々町546(本社)
TEL 075-441-6644
FAX 075-441-6645
Paragraph 02
日吉屋は西堀さんの奥様のご実家で、西堀さんは和歌山県新宮市の出身だ。高校卒業後、ワーキングホリデーで1年間のカナダ留学を経て、市役所へ就職。観光行政に携わった。
「新宮市の主要産業だった林業がだめになり、観光業に転換しようという時期で。熊野古道が世界遺産になっていますが、ああいった活動にも業務で関わっていました。新宮は京都みたいに誰もが知る観光地ではないので、自分たちで宣伝しないといけなかったのですが、予算は少ない。そんな時、ちょうどインターネットが出てきて、市役所で勉強会が開かれたんです。観光PRにホームページを作って発信しなさいと。当時ぼくが課で1番若かったから、白羽の矢が立ちまして」
市役所で働き出した理由はカナダ留学で知り合ったクロアチアの友人と、クロアチアで寿司バーを開く軍資金稼ぎだったと笑う西堀さん。
「上司に恵まれ仕事も面白く、結局7年働きました。妻と出会ったのは2年目のことで、そこから紆余曲折あり、結婚が決まって、家に遊びに行き、そこで初めて和傘と出会いました。僕からすると、凄くかっこよくて、こんな渋いものを今でも作ってる人がいるのかと、感動したんです。ところが、お店の経営状態は大変厳しく、傘屋としての存続が難しいという事になっていたんです」
こうした状態は和傘に限らず、全国の伝統工芸にあてはまるという。
「先立つものがない。食べていけないからみんな辞めるわけです。典型は着物。着る人がどんどん減っていて、毎年、日本中でたくさんの職人さんが廃業を迫られている。和傘も含めた他の伝統産業はもっと厳しい。この現状を何とかできないかなと思ったのがそもそもの始まりですね。和傘を初めて見た時に思った『かっこいい』という価値をいろんな人にわかってもらいたいし、ぼくが感動したという事は、同じ様に感じる人がある程度いるんじゃないかと考えて」
市役所で観光事業に取り組んだ経験から、ホームページを作る事を思いついた西堀さんは、当時、立命館大学でITビジネスを学んでいた弟さんに日吉屋のウェブサイト制作を依頼する。インターネット黎明期、97年頃の話だ。
「当時は回線速度が遅く、大きな画像は載せられない。クレジットカード決済やショッピングバスケットもまだほとんどなく、ネットで高いものを買うことはありえないという風潮でした。でもホームページを立ち上げて、最初の月にオーダーがきたんですよ。『番傘1本ください』とメールが届いて。『あ、傘売れた』と思いましたね。やっぱり探してる人はいたんだって。そこからは、ネット人口の増加に比例して、加速度的にアップしていきました」
このブレイクスルーが日吉屋、そして西堀さんの運命を変えていく。
「日吉屋が忙しくなるにつれて、ぼく自身、作ることにも興味が湧いてきて、週末に傘作りを習い始めたんです。その頃には結婚し、妻と私、両方公務員で和歌山に住んでいたんですが、平日は市役所、金曜日の夜になると京都まで車で走って土日は傘張り修行という生活です。もちろん無給ですが。竹と紙を組み合わせて、最終的にひとつの大きな傘になるところがプラモデルの延長みたいで面白かったんですよ。簡単そうに見えて、いざやったら難しく、少しずつ覚えながら。初めは継ぐなんて考えもしませんでした。でも、作ってるうちに、これかっこいいし、仕事にできないかなという気持ちが出てきて。僕がやらなければ、店を閉じるって言うし。もちろん、はじめは双方の親から反対されました。両方、公務員やってるから安定じゃないですか。でもぼくは元々、寿司バーをやるはずだったんで(笑)」
そうして西堀さんは市役所を退職し、職人の道へ進む。2003年29歳の時だった。100万円だった売り上げは10倍になっていたが、それでも公務員と比べたら安定とは言えない状況だった。
Paragraph 03
翌2004年に日吉屋五代目当主になった西堀さん。就任にあたり、老舗から老舗ベンチャーに生まれ変わろうと計画した。経営者として、会計、営業方法、商品と全般的な見直しを図った。
「売り上げは増えたと言っても依然厳しい状態でした。ネットの反響はあるんですが、基本、そこから来るのはニッチなお客様たち。ほとんどのお客様は、和傘をお買い求めになられる為に、わざわざ来られる事が多いので、ご来店頂いた方にはほぼ100パーセント買って頂けるという状態になったんですが、同時にこのまま伸びるわけはないなと思っていたんです」
ネットを駆使し、ニッチな和傘市場を開拓したものの、いずれ頭打ちになってしまう。和傘を今の時代にアジャストさせるためにはどうすればいいか、西堀さんは和傘の本質を探った。
「自分で傘を使ってみました。すると、かっこいいんだけど不便なんです。出張等には嵩張るので持って行き難いし、和紙だから破れないかと気を使うし、これは着物を着て出かける特別な機会でないと、やっぱり使えないなと。ルーツを調べると、傘は中国から仏教や漢字と一緒に伝来したんですが、当初は魔除けや儀式に使われていて。そこから何百年が経つ中で、開閉構造になったり、分業制作になったり、和紙産業が発達して紙が材料として使えるようになったり。いろんなイノベーションが起こっていたことがわかって」
それがきっかけとなり、日吉屋の理念が生まれた。
「和傘がなぜ今まで続いてきたかと言うと伝統工芸品だったからではなく、その時代の人が欲しいと思って買って使ってくれていたからだったんですね。平安時代の職人さんは平安時代のお客さんに合う宗教的な儀式の道具を作っていたし。江戸時代は庶民の日常品として番傘を作っていた。つまり伝統とは時代に合わせて変わっていくものなんですよ。そこから『伝統とは革新の連続』と考えるようになりました」
西堀さんの言葉を聞いて「生き残るのは、力の強い者でも、賢い者でもなく、変化に対応できる者である」という警句が思い浮かぶ。
「そうですね。和傘を今の時代に合った物にする。伝統工芸品だからって伝統素材や伝統技術だけに囚われず、現代のデザインや素材、技術を取り入れてもいいんじゃないかということを考えたんです」
そこから生まれたのが、シェードに和傘の骨組みと和紙、そして開閉構造を取り入れたデザイン照明だった。
Paragraph 04
ペンダントライト、KOTORI(古都里)は2006年12月1日に発売し、2007年グッドデザイン賞特別賞(中小企業庁長官賞)を受賞。現在は二ヶ月待ちという日吉屋の人気商品だが、誕生には試行錯誤の末に行き着いたイノベーションがあった。
「太陽の下で、和傘を通して見える暖かい光と骨組みがとても綺麗なので、それを照明に使えないかなと思ったんです。でも、最初は典型的なプロダクトアウトで」
見せてもらった写真では、開いた和傘の上部で電球が光っていた。
「これはビックサイトで出展した時(2004年 インテリアトレンドショー)の模様です。みんな「美しい。凄い」と褒めてくれるんですよ。でもご注文頂けない。何でですか?と訊いたら、『使うシーンのイメージが沸かない』って言われて。これは僕たち職人がやりがちな典型的な失敗なんですけど、「自分達はすごい技術を持っているんです!」とアピールするんですが。しかし、市場は必ずしもそれを良いと思うとは限らないという事です。」
西堀さんがいわゆる職人的気質の強い人なら、話はここで終わっていたかもしれない。しかし経営者として自社を客観的に見る目を持っていた。それが日吉屋のさらなるストーリーを紡いでいく。
「実は、専門家の話も聞こうと、お世話になっていた方の紹介で照明デザイナーの長根寛さんにお会いしたんです。傘をお見せしたら『デザイン的に触るところはありません』と。和傘は1000年かかって究極までそぎ落とされている。でも、照明デザイナー的な視点で見ると現代のインテリア事情に合わない。そこで、筒型にしませんかとアドバイスされて」
照明は空間インテリアとの相性が重要になる。傘にランプをつけた照明は、和風すぎて日本で主流の洋室に合わないという理由だった。
「ぼくらは最初はそのアイデアにすごく懐疑的でした。傘は三角錐だと思っていましたから。円柱の虫かごみたいなランプが本当にいいのかと。でも、一応作ってみたんです。それをブースに吊るしていると、みんなそっちが良いというんです。その時、自分のところだけで考えるのではなく、マーケットニーズにあった思考が大事なんだと気付きました」
プロダクトアウトからマーケットインへ。しかし、傘屋が照明を作るにあたって、西堀さんの中で一つ譲れないことがあった。
「筒型だけなら、日吉屋じゃなくて竹籠屋さんでもできるわけです。せっかく傘屋がやるんだから、開閉するようにしたいと。和傘の綺麗な骨組みを見せたいと提案したんです」
傘屋にとって筒状が信じられなかったように、照明デザイナーには開閉構造が驚きだった。
「一方では当たり前のことが二つ合わさると、当たり前じゃなくなる。それが新しい商品を作るきっかけになりました」
骨組みの美しさ、和紙を通した温かい光、コンパクトに折りたためる構造、和傘の特性が全てランプに生かされたKOTORI(古都里)。プロダクトアウトからマーケットインへ、とはよく耳にする言葉だが、KOTORIは筒型という顧客ニーズと、開閉構造という制作者からの発案がかみ合って生まれたところが興味深い。どちらか片方ならイノベーションは起きなかった。この辺りに再生のヒントがありそうだ。
「マーケットを意識して作ろうということになりましたが、その一方で、デザイン照明にはアイキャッチの役割もあります。目にすれば、気持ちがなごやかになったり、その店に入りたくなるような。そこで求められるのはオリジナリティや、美しさ、ユニークネスなんです」
作り手の独自性や、他に類のない特性を見た時、人は心を奪われる。理想の商品とはコンシューマーの予想を裏切り、期待に応えるもの。そのためにはリサーチから導きだされる顕在的なニーズに加え、顧客自身も気づいていない潜在的なニーズの両方を満たす必要がある。
「日本では戦後に蛍光灯を大量普及させましたが、それ以前はずっと陰影礼賛、行灯でしたからね」
西堀さんの何気ない一言が腑に落ちた。日吉屋のランプを見ると、行灯を使った経験はなくても、昔の日本の風景が浮かび、ふと懐かしい気持ちになるのだ。意識を超えて、心に直接訴えかけてくる情感がある。
後編へ続く。
TEXT:森田哲徳
PHOTO:山口謙吾
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公益財団法人日本デザイン振興会が主催する、Gマークで知れれる日本を代表するデザイン賞。有形無形を問わず、社会を豊かな未来へ導くグッドデザインを選定。家電やクルマなどの工業製品から、住宅や建築物、各種のサービスやソフトウェア、パブリックリレーションや地域づくりなどのコミュニケーション、ビジネスモデルや研究開発など、さまざまなな物事が応募される。
グッドデザイン賞
実施:毎年 応募は4月
http://www.g-mark.org/