2017.03.22
崩壊寸前の産地を「播州刃物」に再生して海外販路を開拓【後編】
刃物文化を伝えるために、欧米10カ国以上を行脚して研ぎを実演!
「播州刃物」をリ・ブランディングして海外への販路を見出す。そのために
英語を話せない小林さんは、欧米10カ国以上を行脚して研ぎの実演を行った。
彼の情熱に感化され、いつしか強力な助っ人や、待望の後継者が現れるのであった……。
2017.03.22
刃物文化を伝えるために、欧米10カ国以上を行脚して研ぎを実演!
「播州刃物」をリ・ブランディングして海外への販路を見出す。そのために
英語を話せない小林さんは、欧米10カ国以上を行脚して研ぎの実演を行った。
彼の情熱に感化され、いつしか強力な助っ人や、待望の後継者が現れるのであった……。
1987年兵庫県生まれ。大阪芸術大学デザイン学科卒業。2011年「合同会社シーラカンス食堂」を地元の兵庫県小野市に設立。播州刃物や播州そろばん、石州瓦などのブランディングから商品開発、地域財産を世界市場へ向け「伝える」ことに注力した販路開拓に取り組んでいる。
Paragraph 01
この物語の主人公である小林新也さんは、地元である兵庫県小野市の刃物産業を再生するため、播州刃物としてリ・ブランディングし、2013年6月に東京で開催された「インテリア ライフスタイル」に出展した。産地の仲間とともに確かな手応えを感じ、9月のパリ・デザインウィーク中に開催される「Japan best」への出展が決まる。ここから後編のストーリーは始まる。
「Japan best」はパリのディレクターがヨーロッパ市場でポテンシャルの高い日本の商品をセレクトした展示会で、この年が初の開催となる。播州刃物は「BANSHU HAMONO」としてパリへ渡った。
「展示会に知り合いの植木職人を連れて行って、盆栽と播州刃物を一緒にディスプレイして、刃物を使って盆栽を切るパフォーマンスをしました。また、現地で知り合った日本人の縁で、パリで活躍するヘアアーティストのASAKOさんを紹介してもらって。ASAKOさんにお願いして、播州刃物の美容ハサミで会場に来た人の髪の毛を切るというイベントを行ったんです」
日本らしさと刃物の素晴らしさを同時にアピールし、会場での評価は上々であった。むろん、イベントだけでなく現地調査も行った。現地で活躍するパタンナーや和食のシェフに普段使っている刃物についてヒアリング。とにかく現地で出会った日本人のネットワークを頼りに、数珠つなぎで人に会っていったのだ。現地で活躍する日本人のまわりには必ず日本人がいるため、効率は良かった。
海外初出展となる「Japan best」では、ディストリビューターとの信頼関係が生まれ、後に小林さんが動かなくても、ベルリンなどの販路が少しずつ開拓されていく。
そして迎えた2014年。この年、小林さんは大きなスーツケースを両手に世界中を行脚する。まずは1月にフランス・パリの見本市「メゾン・エ・オブジェ」に出展。同時期に2014年度の「MORE THAN プロジェクト」に採択される。若さを武器にした体力勝負で、与えられた資金を切り詰めて何度も海外に通った。
小林さんはアメリカ、台湾、パリ、ベルリン、ロンドン、ウィーン、シンガポールなど、1年で計10都市をめぐり、展示や調査を行った。気になるショップがあれば、飛び込みで売り込むこともあったという。
NYの見本市「NY NOW」
ベルリンのセレクトショップ「BIKINI」
そして、シェフ、美容師、パタンナー、レザー職人、華道家、盆栽アーティスト、デザイナー、庭を持っている一般の方など、あらゆる刃物の使い手の声を聞いたのだ。
海外でひたすら使い手の声に耳を傾けた小林さんは、ひとつのニーズに気づく。
海外には研ぎの文化がない。
「欧米人の大半は日本の刃物のクオリティに感動します。でも、海外には研ぎの文化がないため、日本の刃物は『最初は良く切れるけど、錆びやすくて後で切れなくなるもの』と思われていたのです」
結果、プロの使い手は仕方なく使い捨てのハサミを使っていた。日本の刃物はメンテナンスをしながら長く使うもの。そのためには研ぎの技術を海外に伝えることが必須だという考えに至る。
*1
フランス・パリで年2回開催される世界最高峰のインテリア・デザインの総合見本市「MAISON&OBJET(メゾン・エ・オブジェ)」。世界中のデザインが集まり先端のトレンドが発信され、インテリア業界の「パリコレ」とも呼称される、。ドイツ・フランクフルトの「Ambiente (アンビエンテ)」とくらべて、デザインで魅せることに重きが置かれ、ブランド発信に適していると言われる。小規模なインテリアショップの経営者やデザイナーの来場が多い。
MAISON&OBJET
フランス・パリ
開催:毎年1月、9月
http://www.maison-objet.com/en/paris
Paragraph 02
小林さんは、初めは日本の研ぎ職人を海外に連れて行こうと思っていた。だが、忙しい職人の手を止めて海外に連れ出すのは現実的ではないと思い直す。
「ならば、僕が研ぎを勉強すればコストが掛からないと思ったんです。目的が海外でプロの研師を育てるためなら、自分ではダメですが、研ぎという文化を海外に広める・伝えるという部分においては、一般の家庭用包丁を研げるくらいのスキルがあれば問題ない。それなら僕にもできると思ったんです」
思い立ったらすぐ行動。2015年9月、小林さんはパリ、アムステルダム、ロンドンの展示会や販売会で本当に研ぎの実演を行ってしまう。
「向こうでは研ぎが珍しいようで、多くの人が足を止めて見てくれました。日本の包丁を持ち込んだ人がいて、その場で研いで返すと『ここまで見違えるのか!』とびっくりされていました」
ときには異常に日本の刃物に詳しい人が現れて、“刃物談義”で盛り上がることもあったとか。
さらに、ロンドンでは最後のイベントとして握りバサミ職人である水池長弥氏を現地に呼び、研ぎの実演を行った。これには多くの客が足を止め、その鋭い技の数々に「クレイジー!」と声をあげる人もいたという。
海外行脚はまだまだ続く。半年後の2016年2月にも、小林さんはアムステルダムやフランクフルトなどで研ぎのワークショップを行った。
平行して、現地の販売店に包丁の研ぎ方を教え、お店でも研いでもらう仕組みをつくるよう働きかけるのだ。余談だが、移動式の研ぎ屋がアムステルダムに存在すると聞いて、すぐに会いに行き話を聞いたことも。貪欲に海外での研ぎの可能性を探っていたのだ。
実演を通じて研ぎの文化の広がりを感じ、数字としてもオーダーにもつながったという。ところで、小林さんの尋常ではない行動力に、「英語が堪能なんだろう」と思われるかもしれないが……。
「英語はあまり話せないんです。でも、物があるとペラペラ喋る必要がないというか、なんかイケるんです。それはどこの国でもそう。物があれば飛び込みでもいけます」
やはり、海外でも小林さんは“ぐいぐい踏み込む行動力の人”なのだ。
*1
90年代にオープンしたパリで有名なアートブックストア、ギャラリー。最新モードブティック・ギャラリー街となりつつあるマレー地区にあり、本だけでなく、雑貨・モード・アクセサリーも扱う。奥に展示会スペースまである。東京・中目黒に「Ofr Tokyo」がある。
Ofr.
住所:20, rue Dupetit-Thouars (Carreau du Temple) 75003 Paris
http://www.ofrsystem.com/
*2
2015年8月、パリにオープンした日本商品のポップアップショールーム。パリの1区、日本人街サンタンヌ通りからほど近い場所にある。日本の自治体、団体らによる期間限定展示の実績あり。テストマーケティングの場としても注目されている。
住所:8 bis, rue Villedo 75001 Paris
http://maisonwa.com/
Paragraph 03
そんな小林さんの行動力や情熱に感化される人が現れる。これまですべてひとりで活動していた小林さんだが、海外では強力な助っ人が現れるのだ。
例えば、ジャムナ・アイリーンスさんは世界中のデザイナー雑貨を集めたECサイト「MONOCO」の会社で働いていた元バイヤー。会社を辞めたときに小林さんと出会い、ヨーロッパの展示会に同行した。
「彼女はオーストリア生まれで、ドイツ語ペラペラで日本語もペラペラ。読み書きもできて、美人で若くてパワフルでとにかく最強だったんです。例えば、彼女といるときにロンドンの展示会で主催者と出会い、その場で刃物を広げて見せたら気に入ってもらい、『ALTO』という世界的なメディアに載せてもらえたり。彼女はそういう奇跡を呼び寄せる人だったんです」
オーストリア人のジャムさんという助っ人もいた。
「ジャムさんはフランクフルトのアンビエンテに同行してもらったんですが、ドイツ語がペラペラなので、このときは驚くほどオーダーがとれました」
ほかにも、英語が堪能な松本さんという日本人が海外の展示会で手を貸してくれたこともある。
始めはひとりで何から何までやってきた小林さんだが、海外に進出してディストリビューターを起点にビジネスが広がり、アイリーンスさんやジャムさんのような助っ人が加わることで、海外での販路が一気に拡大する。
その結果、わずか3年でフランスやドイツ、アメリカなど海外で10カ国以上の販路を拡大。ロンドンに拠点がある「Wallpaper*」のウェブストアや、アメリカとスイス拠点の大きな卸業である「AMEICO」で実店舗とウェブストアでの取り扱いが開始した。
「BANSHU HAMONO」は海外の使い手に認められたのだ。盆栽ハサミなど昔ながらの刃物が「日本らしい」と評価され、職人が手作業で仕上げる刃物の切れ味や、研ぎ直しができる点が大いに受け入れられた。
同時に日本でも高い評価を得た。播州刃物の活動を讃えて、「グッドデザイン・ベスト100」の「ものづくりデザイン賞」を受賞。「BANSHU HAMONO 101 シリーズ」が、JIDAデザインミュージアムセレクションに選ばれる。小林さんの想いと行動は実を結んだのだ。
Paragraph 04
「BANSHU HAMONO」は世界ブランドになり、海外の販路は確立された。だが、物語はこれで終わりではない。忘れてはないかい? そもそも産地が抱えていた根本的な問題は何だったのか……? 「後継者不足」である。
高齢化が進む産地に若い担い手が生まれないと、たとえ販路を開拓してもつくり手がいなくなり産業は消滅してしまう。実は小林さんの海外行脚と平行して、後継者問題も動きがあったので、まとめて経緯を紹介しよう。
まず国内では播州そろばんと播州刃物セットにしたモノづくりツアーをJTBと観光商品化。産地で伝承されてきた職人技を文化として大切にして欲しいとアピールした。
また、海外のインターネットの記事で播州刃物の後継者問題が取り上げられたことで、アメリカとイタリアから弟子になりたいと問い合わせがあった。なんと2人とも小野市までやってきたのだ。
とはいえ、肝心な受け入れ側の態勢ができておらず、残念ながらこの2人の弟子入りは見送りとなる。
このように播州刃物がメディアなどで取り上げられて知られるなかで、「小さな頃から鍛冶屋になりたかった」という日本人の男性が現れたのだ。
遂に弟子の候補が現れた! だが、この段階にきて新たな問題が浮上する。
「握りバサミのつくり手がひとりしかいないのでオーダーは半年くらい溜まっている状態でした。弟子を育てるにはお金が必要で、育てる作業には時間が必要なので製造能力は半減します。さらに、学ぶための燃料代や材料代、給料も必要になってきます」
つまり、弟子を育てるということは、製造能力や利益が下がるのに、今まで以上に出費がかさむということなのだ。そこで小林さんが考えたのが、ファンド型商品の販売。これまでの顧客のなかには刃物を使わなくても、播州刃物のストーリーや伝統に投資する気持ちで購入してくれている方がいた。使わないものでも商品になる、それならその利益を職人育成に使えないかと考えたのだ。そこで、テスト的に握りバサミの材料をそのまま販売する取り組みをスタートさせた。
また、9月から握りバサミと裁ちバサミの値上げが実施、新価格での販売がスタート。さらに追い風として地元の兵庫県や兵庫市が後継者育成を応援する動きが出てくるのだ。
多くの人の想いが交差しながらも、2015年9月、遂に握りバサミ職人の水池氏のもとに弟子の寺崎研志さんがついたのだ。
現在、寺崎さんは水池氏の指導のもと修行の毎日を送っている。ついに念願の弟子1号が誕生したわけだが、播州刃物の後継者はあらゆるジャンルで必要だ。だから、いまでも後継者の募集は続けているのだ。
「若者がいない」ことが全ての問題の根っこであった。これは日本全国にある共通の問題でもある。その問題に小林さんは真っ向から挑み、突破口を開いてみせたのだ。
Paragraph 05
ときは流れて2016年8月末。小林さんは渋谷「ヒカリエ」にいた。グローバル起業家マキとモザンビーク系南アフリカ人テキスタイルデザイナームポが米国で結成したデザインブランド「Maki & Mpho」との共同プロジェクトが新たに始まり、そのイベントに参加するためだった。このイベントの合間を縫って行われたこのインタビュー。最後、小林さんは意外なことを口にした。
「これからは展示会を中心とした販路開拓のアプローチを辞めようと思っています。本当の意味で販路を開拓するには、刃物のメンテナンスを含めた文化ごと、定着する必要があるとわかったんです。現地の方が日常で普通に商品を使っている状態が理想なんです」
そのためには、現地のお客さんの声を聞ける仕組みや、コミュニケーションが日常的に起こる「場」が必要であった。
「今の目標は海外にお店をつくることです。単純な販売のための店ではなく、砥ぎや料理の教室を行ったり、職人が常駐したり。そういった形で日本の刃物の文化教育を担う『場』をつくりたいんです」
それは一般的な海外への販路拡大へのアプローチとは一線を画すものでもある。
「海外に販路をつくろうとする人の多くは、海外のトレンドだけを見て、日本人だけで考えて、お金をつぎ込むような一方的なアプローチのサイクルを延々と繰り返します。また、販路拡大なので『拡げる』ことばかりを考えて、規模を求めるあまりシステム側に視点と思考が寄っていきがちです。でも、本質的な海外での販路の拡大というのは、しっかりと現地に根付くことだと思ったのです」
商品だけではない、刃物の文化や現地の人が関わることができる仕組みをつくってこそ、本当の意味での販路開拓なのだ。これは小林さん自身が販路開拓のために世界各国を行脚したからこそ見えた道筋だ。
“ぐいぐい踏み込む行動の人”の挑戦は、これからも続く―。
TEXT:藤井たかの