2017.06.12
海外目線とブランディングの真髄を知り、日本を世界とつなぐ(前編)
世界三十数か国での調査経験と、ブランディングを融合する。
途中まではすべて「ひょんなことから」だった。国連やJICAでの仕事を志して世界に飛び出し、なぜか腕利きの市場調査員に。ブランディングプランナーに。そしてたどり着いたのは、日本を世界に紹介するサービス。それまでの知見を活かして、「ストーリー」を付随させることだった。
2017.06.12
世界三十数か国での調査経験と、ブランディングを融合する。
途中まではすべて「ひょんなことから」だった。国連やJICAでの仕事を志して世界に飛び出し、なぜか腕利きの市場調査員に。ブランディングプランナーに。そしてたどり着いたのは、日本を世界に紹介するサービス。それまでの知見を活かして、「ストーリー」を付随させることだった。
アイディーテンジャパン株式会社 代表取締役社長
ブランディングディレクター
JAPANPAGE®統括
1972年大阪・堺市生まれ。東京・フィリピン・オランダの大学・大学院で学ぶ。富士経済での市場調査員として世界30ヵ国以上を担当したのち、インターブランド入社。ブランディングプランナーとして、大和ハウスやニコン等、20社以上のCI(コーポレートアイデンティティ)プロジェクトを担当。ナレッジマネジャーを兼務。主夫としてカナダ、中国での生活を送り、アイディーテンジャパン設立。日本のものづくりや地方の魅力を海外にPRし、体験型旅行商材や地方産品のテスト販売まで請け負う「JAPANPAGE®」を2017年にローンチ。
Paragraph 01
手元に「CraftMeet Storybook」という本がある。ファッションブランドのブランドブックのような佇まいだ。
表紙をめくると「伝統的工芸品とは」「伝産法」「選定基準」といった説明があり、日本地図にちりばめられた伝統的工芸品のイラストが目に入ってくる。そして1つ1つの工芸品には、ストーリーが分かりやすく記載されている。現在、世界のラグジュアリーブランド、美術館、バイヤーがこのストーリーブックを手にしたいと問い合わせが来ている。
このCraftMeetプロジェクトは平成28年度の経済産業省補助事業として採択され翌年からは自主事業として運営を開始した。すでに海外バイヤーやデザイナーとの商談や販売が進むなど需要発掘・販路開拓の成果が生まれている。このプロジェクトの旗振り役を務めているのが澤田且成さんだ。
日本には「伝統的工芸品」というものがある。「伝統工芸」とは「伝統芸能」みたいに”日本の伝統的で歴史あるもの”という一般名詞かと思いきや法律で定められた概念なのだ。
伝統的工芸品産業の振興に関する法律(伝産法)」で定められた指定要件を満たす225品目(CraftMeetプロジェクト開始時期は222品目)だけが「伝統的工芸品」を名乗ることができる。そしてその中から海外市場に積極的で「ストーリー」を語れる品々を選び出し、そのストーリー共々、背景にある産地も含めて海外に紹介して売っていこうというのがCraftMeetプロジェクトだ。
日本では”当たり前”のように捉えられていることを海外目線で”憧れ”に変えていく。ここに澤田さんが長年こだわり磨き上げてきたブランディングの本質的な狙いがある。
澤田さんは、ブランディングのプロフェッショナルである。なにごとにおいても「付随するストーリー」が大切で、その伝え方・見せ方次第でブランドは左右されるということを心底知り抜いている。
このプロとしてのスキルと、独自に築いてきた海外のバイヤー・メディア・旅行会社ネットワークは、CraftMeetプロジェクトや、平成27年に実施された経産省補正事業「The Wonder 500」でも余すことなく投入された。The Wonder 500は文字どおり500品におよぶ日本の地方産品が掲載されており、海外に売るに価する、売りたいモノや食、観光資源などを目利きのプロデューサーたちがセレクトした。国内外での知名度は高く、商談や購買の結果も多数生まれた。澤田さんはこのThe Wonder 500の副事務局長としてまた海外PR・ブランディングの事務局として貢献した。
2017には自身の肝いりサービスである「JAPANPAGE®」というWEBプラットフォームをローンチ。これは、日本のものづくり・食・伝統・文化・観光の海外営業を強くする海外PR、海外テスト販売のサービスで、前出の「CraftMeet プロジェクト」もサービス内の1コンテンツとして継続していく。
そもそも澤田さん、大学時代には国連で働くことを夢見る青年であった。それでフィリピンやオランダに留学し、その後人生は30代半ばまで流転。意志を持って行動するも、なかなか身を結ばなかった。だが、振り返ってみれば、それらすべてが今の生き方へとつながるキャリアとなっていたのだ。
いかにして彼がブランディングを知り、その目利きが信頼するに足るか。そのヒストリーを語ることで回答になるはずだ。
*1
日本が誇るべきすぐれた地方産品を世界へ伝えるプロジェクト
クールジャパン政策のもと発足したプロジェクト。ものづくり・食・観光において日本が世界に誇れる500の商材を、プロの目利きが選定。認定された商材のストーリーや事業者情報をウェブやストーリーブックとして紹介している。
The Wonder 500™
https://thewonder500.com/
Paragraph 02
澤田さんは1972年、大阪・堺市生まれ。国連で働きたいと思ったのは「数字で発表される世界の実情の裏側にある人間の動きを知りたかったから。僕は国連で開発学をやろうと思っていたんです」
そこで在学していた大学の交換留学先だった国立フィリピン大学に留学。パヤタスという国内最大のごみ処分場近辺に暮らす子どもたちのために、「彼らが描いた絵を売り、教育費を賄う」というプロジェクトを展開する。
「施されるのではなく“自分たちの手でお金を稼ぐ姿勢”を身につけてもらいたいと思ったんです。これは20年経った今も後任の皆さんの尽力で続けられています」
フィリピンから帰国後、東京の大学を卒業。フィリピンの現実を肌身で体験し、自分が何で社会に貢献するのか?を考え、「利益を社会に平等に配分すること」に興味を持つ。そしてそのジャンルについて学ぶために、オランダに留学。これが今でいう大学院大学で、世界中からやってきた意識の高い弁護士や役人といった社会人たちに混じってヒーヒー言いながら必死に食らいついて半年かけて卒業。この時、現地で2年間勤務するJICAの村落開発普及員に応募したが不合格。新卒ながらハローワーク通いの日々となる。
だがそこで思いがけない出会いがあった。フィリピン留学が役に立つ仕事の募集があったのだ。
「富士経済という市場調査の会社です。タイミングよくフィリピンの市場調査のお話があったんです。契約社員として採用されるや否や“すぐフィリピン行ってこい!”と(笑)。業務内容はシングルクライアントの市場調査です。クライアント企業が海外進出を目指す時に、現地のマーケットサイズやその業種のマーケットシェア、チャネル、リーディングカンパニーの勝因などを、現地に行って調査し、レポートを作成するんです。1〜2週間日本で下調べをして、アポ取りも自分でやり、海外に1〜2週間行き、帰国後レポートを作るというサイクルでした。当時はインターネットが始まって間もない頃。海外との連絡は国際電話やファックスがメインだったので相手を捕まえるのは大変でした」
4年半の在籍中、32か国で調査。自分にしかできない何かを残したいとそれまでの調査スタイルの改善を繰り返し調査期間の大幅短縮と調査内容の深化に挑戦した。「先輩からは「ペースを落とせ!」と怒られました(笑)」
一方で目指していた仕事もあきらめてはいなかった。富士経済を辞めたのは、MBA入学に必要な英語の勉強をするため。結果、TOEFLの文法で満点を取るほどの実力を身につけたが、父親の事業が芳しくなく留学は断念。当時、澤田さん27歳。即、職場を探さねばならなくなった。
「日経新聞の広告を見て『インターブランド』という会社に入ることができました。ロンドン本社の日本法人で、みずほ銀行の合併やFIFAワールドカップ、海外ではBMWや英国航空なども手掛けた、ブランディングの分野では世界最大の企業でした。僕は調査をやるつもりだったんですが、なぜかデザインチームに配属されて。ブランディングの“ブ”もわからなければ、デザインもやったこともない。デザインチームの中で、僕は唯一のノンデザイナーでした。どうも会社としてデザインをする人ではなく“デザインの大元を考える人”を育てようという狙いだったようで」
いつもカバンにはブランディングの書籍を数冊入れて電車の中や帰宅前のカフェ、また毎日1時間早く出社してデザインやブランディングの勉強をし、上司には疎まれるほど質問をしまくった。おおよそ5年勤めて、最終的にはデザインに関わる戦略のガイドライン制作やナレッジマネージャーを担当するまでになった。
「デザインを学んだことはなかったのですが、僕の父親は趣味で山岳写真を撮る人で、家に現像機がある環境で育ちました。幼い頃、絵本代わりに父親の写真をめくってたんです。デザインの力が鍛えられたのかもしれません。一方で数字のほうは調査会社でみっちり身につけてきました。ブランディングは感性と論理的な考え方の両方が必要です。右脳と左脳をうまく生かして目に見えないものを見えるようにして、新たな価値を提供するストーリーや仕組みを作っていく。ストーリーって、うまくできていれば相手の理解を得て納得させ、心底感動させることができるんです。世界ナンバー1のブランディング会社で、いろいろな猛者の人のプレゼンを聞いて、それはもう勉強になりました」
実はインターブランドという会社、韓国の観光資源やオリンピックを行う地域、国などのブランディングも行っており、ナレッジマネジャーとなった澤田さんはそうした事例を数多く頭に入れていたという。天職だったと自認する。だが33歳で退職。なぜか。
「寿退社でした(笑)」
Paragraph 03
「当時付き合っていた彼女(現妻)の転勤先がカナダ・モントリオールと聞いて結婚を本気で考えました。モントリオールと東京の長距離恋愛の中、僕が結婚式場や彼女のドレスの打ち合わせを決めていく。当時30代が始まったばかり。今のポジションでブランディングを極めていくのか、退職して新たな道を見つけるのか……悩みました。悩んで相談して考えて、出した結果が寿退社でした。上司からは“本気か?と言われ、妻は“本当にやめるの⁉”って(笑)」
それでモントリオールで“主夫生活”をスタート。朝食を作って奥さんを起こし、掃除をして食料品や生活用品を買うようになって、あることに気づいた。生活の中でブランドの理念やストーリーというものが、全然伝わってこないのである。生活の中で触れるいろいろなものから、ブランディングという概念が欠落していることを知ったのだ。
「もったいないなあと。ストーリーがあるのとないのとではこんなに違うのに。伝わるのと伝わらないのとではこんなに違うのに。第三者がそのストーリーを伝えることで、聞き手にはすごく響くはずだと思ったんです。それでブランディングの本『結局、営業に頼ってしまう御社が伸びない本当の理由』(共著 明日香出版社)を共著で書いたんです。ちなみにアマゾンビジネス部門で1位になりました(笑)」
送り手として、仕事として手がけていたブランディングを生活者目線で見直して、新たな意識を得たのだった。そして次に奥さんの転勤にくっついて(主夫ですから)行った中国・広州でもまた新たな知見を得る。時は2008年、北京オリンピックで盛り上がる中国に日本企業や各自治体がどんどんPRに来ていた。
「現地の人としゃべってると、よく言われたのが“わからない”ということ。日本から売り込みに来た人はみなさん、山も海もきれいだし食事もおいしいってアピールしていくんですけど、それぞれの県の違いがわからないと。僕はその時、広州の住人ですから、半分は現地の人目線ですよね? だから現地目線で日本を見ることができていたんです。実際に日本から来た人の話を聞くと、やっぱり地方地方のエッジが全然効いてない。
この頃からムクムクと仕事への意識が高まっていた。実は出版以降、日本からブランディング関係の仕事のオファーもたくさん来ていて、コンサルタントとして2008年に日本で起業していた。でも世界を股にかけた生活環境といった、澤田且成に与えられた澤田且成にしかできない使命で社会に貢献したい。澤田且成ならではの「天職」があるはずだと思っていた。
「中国の専門家といった一カ国に特化したプロフェッショナルにはなれない。自分がこれまで取り組んできた強みは何か。妻の仕事柄、家族と一緒に世界を回らないといけない。その前提で何ができるか。海外に住んだ人はたくさんいるけれどせいぜい1〜2か国。住むとその国に慣れちゃう。その国の専門家になるといろいろな国の視点は持てない。僕は短期間で32か国を行き来してリサーチし続けてきた。生活や留学ではなく市場調査として現地にいって情報を収集してきた。常に新鮮な情報が手に入って新鮮な視点で日本を見ることができる環境にいた。ブランディングのアプローチで自分の人生をそして事業の強みを必死に考えました。「それで、2010年から、“海外視点で見た日本の魅力”を取り扱う事業ということを起案したんです」
着目したのが“日本大好き外国人”。彼らが日本に行きたいと思った瞬間に、日本の商品や地域に関するストーリーを得ることができる仕組みを作り、実際に現地に足を運んだり、現物を手にしたりする以前に価値を高めていくという役割を担うサービスだ。この仕組みを作って本格化が見えてきた矢先、東日本大震災が発生。そして尖閣問題も。
契約寸前まで決まっていた案件が流れた。売り上げがなくなった。澤田さんはどん底をみる。「少しでも気をぬくと底のない蟻地獄に落ちていく感じでした。でもなんとか頑張ってきました。大変なときだからこそ自分の強みを見直しました。社会にどう貢献するのかを考えました。僕の市場調査やブランド戦略設計のポリシーは“現場から独自性のヒントを見つける”ということ。そのため、自主企画で海外の旅行博覧会に足を運んで日本旅行に強い現地旅行会社の日本担当者とアポをとり”どのようにして日本旅行の情報を収集しているのか?””旅行商材の設定基準は?”など質問を繰り返しました。また海外見本市でもバイヤーを見つけて、”どんな基準で商品を選定しているのか?”どんな商品を探しているのか?””商品を決定するまでのプロセスは?”などをヒアリングしました」
Paragraph 04
少しずつネットワークを広げていくなかで、墨田区からコンタクトがあった。墨田区内のメーカーとデザイナーとをコラボした「すみだモダンブランド」を大きく海外展開するための『墨田区ものづくりコラボレーション事業』への参画だ。
「商品にはお金で買える価値と買えない価値があります。ヒアリングして分かったのは、みなさんパリに憧れているということ。でもパリで勝負しても十分な利益を産むことはとても難しいです。パリでは100円の納豆が500円で売られています。もともとの売値に輸出入の税金やロジスティクスに必要な経費などさまざまな経費が追加され、さらに現地関係者の利益が追加されると売値を上げるしかない。欧州市場で利益を得るには料金体系から見直す必要があります。しかし、現実は難しい。それで提案したのは、“パリで選ばれるという価値を持ってアジアで売ろう”ということ。当時、展示会に出店するだけの十分な予算がなかったので展示会には出せなかったんです。ならばどうするか。直接バイヤーに会えばいい! っていうこと。つまり“現地のキーパーソンを捕まえる”」
でも特にパリに手がかりがあったわけではない。澤田さん、驚くほど直球勝負だった。誰に選ばれたら価値が出るのかをJETROでヒアリングし、有名セレクトショップの『コレット』を紹介される。といっても、紹介状をもらったわけではない。その時には単に『コレット』の名前を知っただけ。
「あとはノック・ザ・ドアです。『コレット』のお店に行って“バイヤーと合わせてくれ”って言ったんです。“わざわざ日本から来たんだから!”って(笑)。人は真心とかしつこさで絶対動くんで。自分の背景を語り、商品とそのストーリーをきちんと用意して持って行く。そして聞きまくる。どうやってあなたたちは商品を選ぶんですか? 基準は何? プロセスは?選定会議はあるの? って……調査員ですから(笑)。そしてストーリーを伝える。すると、サンプルだけじゃなく、どんな情報とストーリーがあれば選ばれるのかもわかりますよね。それで最初に買っていただいたのは『吉田テクノワークス』さんが『アッシュコンセプト』さんと作ったカードケース。あとは『笠原スプリング製作所』さんが『ヒロタデザインスタジオ』さんと作った『てのひらトング』とか」
*1
高い技術力を持つる東京・墨田区のものづくり事業者と、デザイナーとのコラボレーションプロジェクト
東京・墨田区のものづくりを通じてイメージアップと知名度の向上を目指す「すみだ地域ブランド戦略」の取り組みのひとつとして展開する取り組み。日本を代表するデザイナーなどのクリエイターと、高い技術力を持つ区内ものづくり企業をマッチングし、新商品を開発する。
墨田区ものづくりコラボレーション
すみだ地域ブランド戦略
http://sumida-brand.jp/
ものづくりコラボレーション
http://sumida-brand.jp/collabo/collabo08
*2
国内外拠点のネットワークを軸に、中小企業の国外輸出や海外進出を、包括的に支援
約40か所の国内拠点と、70か所以上の海外事務所のネットワークを活かし、中堅・中小企業等の海外展開などを支援する日本貿易振興機構、通称ジェトロ。販路紹介、トラブル回避のアドバイスなどの、企業のニーズや進出段階に応じた支援に加えて、事業の見直し、第3国展開といった新たなビジネス展開ニーズにも対応する。
独立行政法人日本貿易振興機構(JETRO)
https://www.jetro.go.jp/
*3
世界のトレンド発信拠点であり続けるパリの老舗セレクトショップ
最先端のトレンドを世界に発信し続けるパリの老舗セレクトショップ。ファッションをメインに、アート、コスメ、雑貨、本まで多彩に取り揃える。 ルーブル美術館から徒歩圏内にあり、地下にはカフェ・レストランを併設、地元のパリジャンから観光客まで常に賑わっている。
Colette
フランス・パリ
住所:213 rue Saint-Honoré 75001 Paris
TEL + 33 1 42 86 95 90
http://ja.colette.fr/?___store=ja&___from_store=ja
Paragraph 05
「『コレット』に選ばれた」という事実によって商品にさらなるブランド性が加味され、台湾をはじめ、世界の国々でも好評を拍するようになった。そして経産省の事業から声がかかる。
「日本のファッション、文具、食、ものづくりの現場に海外のメディアを招いて商品情報をお伝えし、メディア掲載をご検討いただくという事業でした。メディアバイイングをして取材してもらうことはよくあったそうなんですが、記事の質が良くないようで。今回の事業はメディアバイイング(広告としての)の記事掲載ではなく、メディアにお支払するのは交通費と宿泊費だけ。“掲載するか否かは自由”という内容だと聞きました。私は”ここでしかないストーリーを伝える”ということにこだわり、”伝統と現代の融合がここ墨田にはある”というコンセプトからさまざまな事例を紹介しました。例えば世界一高いタワーの東京スカイツリーの建築様式には、世界最古の木造建築・法隆寺の五重塔の“心柱”という技術が生かされているということ。伝統の技術とモダンなデザインの融合によって生まれたすみだモダンの商品の数々などを」
結果、さまざまなメディアが(広告ではないかたちで)墨田のもの
このときの経験からストー