2018.07.19
リオ五輪の卓球台を生んだ、デザイナーの「思想」
「船頭」としての責任と、自らの「感覚」に対する信頼。
日本が男女ともにメダルを獲得した、リオデジャネイロオリンピックの卓球競技。試合の行く末もさることながら、注目を集めたのが卓球台。斬新で美しく、選手からのクレームが一切つかなかったほど機能性も高い作品は、どのような思考から生まれたのか。デザインを手がけた澄川伸一さんに話を聞いた。
2018.07.19
「船頭」としての責任と、自らの「感覚」に対する信頼。
日本が男女ともにメダルを獲得した、リオデジャネイロオリンピックの卓球競技。試合の行く末もさることながら、注目を集めたのが卓球台。斬新で美しく、選手からのクレームが一切つかなかったほど機能性も高い作品は、どのような思考から生まれたのか。デザインを手がけた澄川伸一さんに話を聞いた。
千葉大学工学部卒業後、ソニーに入社。本社デザインセンター、アメリカデザインセンターを経て1991年に独立。独立直前にはスポーツウォークマンで社長賞も受賞。工学部出身者ならではの幾何学スキルと、3DCADおよび3Dプリンターをフル活用した人間工学的な曲面設計を得意としている。2012年には国際的なプロダクトデザイン賞であるレッド・ドット・デザイン賞、2017年にはIF賞を受賞。大阪芸術大学教授も務める。
Paragraph 01
澄川伸一さんが、デザイナーとしての道を歩み始めた舞台はソニーだった。ソニーといえば、世界のプロダクトデザインに影響を与え続けてきた存在。とりわけ、澄川さんが在籍した1980年代は、ポータブルオーディオプレイヤー「ウォークマン」やCDプレイヤーなどで大きなムーブメントを生み出していた。そのデザインの現場は、非常に刺激的なものだったと語る。
「デザイナーは神がかったような人がいっぱいいましたし、エンジニアにもすごい人がたくさんいました。だから、学んだものはとてつもなく大きかったですね」
澄川さんが学んだものは何だったのか。それは、次のコメントに集約されている。
「ソニーでは、形がきれいだったらすべて許されるんです。逆に、どれだけ製品のコンセプトが実現できていても、形がきれいでなければプレゼンで通ることはありませんでした」
もちろん、一般に使われる家電である以上、機能性を満たしていなければ通用しない。そのうえで「形のきれいな」ものを生み出すのが、ソニーイズムなのだろう。澄川さんのソニー時代の作品にも、それは強烈に反映されている。たとえば、社長賞を受賞したスポーツウォークマン。片手ですべてコントロールできるよう工夫された機能性の高さと、見た目の美しさが両立している。
この「スポーツウォークマン」で興味深いのは、澄川さんのデザインの大きな特徴である曲線が筐体に大きくフィーチャーされている点だ。ここに、澄川さんのアート志向が表れている。
「もともとファインアートがやりたかったんです。中でも彫刻がやりたくて、曲線が大好きなんですよ」
だからこそ、アートとデザインの違いを理解しているのだろう。澄川さんは両者についてこう表現する。
「アートは同調だと思うんです。デビット・リンチやクローネンバーグの映画、ギーガーの絵などを見るとやるせない気持ちになりますよね。でもそれが、心地よいバイブレーションを生むわけです。だから、アートはネガティブな表現をしても問題ありません。でも、デザインは人をハッピーにさせなければいけないと思っています。笑顔、快適さ、リラックス、いろいろな形がありますけれども、ポジティブな方向性に限定されると考えています」
たとえば、岡本太郎は「坐ることを拒否する椅子」を作ったが、アートでなければ成立しない作品だと澄川さんは話す。
「デザインとしてのイスは、座りやすいのが大前提です。『楽しい』『ポップ』といった形容詞はその次に来るものですよ」
機能性を備えるのは当たり前。そのうえで、どのような価値をプラスできるかが、デザイナーとしての腕の見せどころということだろう。
Paragraph 02
では、澄川さんはどのようなデザインを心がけているのだろう。
「僕は、ネガティブな要素をすべて切り捨てています。もちろん、自分の中にはネガティブな気持ちやダークな部分はすごくあるんです。でも、それは絶対に出しません。そこを死守してブレないことが重要だと思っています」
ネガティブな要素がないデザインを貫く――そうすることで、澄川さんのデザインは安心できるものと評価されるようになる。
「機能性を至上のものとする考え方は、もう通用しないと考えています。そこを大前提として、エモーショナルな部分がないと、受け入れられない時代になってきていると思います。もちろん、エモーショナルであれば何でもいいわけではありません。たとえばSNSでも、人によっては食べ物の写真をアップしても顰蹙を買う場合がありますよね。一方で、空の景色やオーロラの写真などはネガティブな感情になりにくい。そういう感覚でしょうか」
何がネガティブと捉えられるかわからない時代になってきているからこそ、「安心感」を重要なキーワードとしているのだという。
「ただ、安心と退屈は紙一重なので、そこは気をつけています。安心感を保ちつつ、新しさを出すということを考えていますね」
この澄川さんの考えを如実に表しているのが、2012年に国際的なプロダクトデザイン賞であるレッド・ドット・デザイン賞を受賞したダンベルだ。
ダンベルのイメージからかけ離れたフォルムで、トロフィーだと勘違いする人も多い。「このダンベルがきっかけでトロフィーの仕事がたくさんきた」と澄川さんは笑うが、このフォルムにこそ“澄川デザイン”の真髄が込められている。
「ダンベルは二の腕の引き締めにも効果的なので、女性のニーズが高いのですが、お客さんが来ると隠す人が多いそうなんです。つまり、部屋に置きたくない形なんですね。じゃあオブジェとしても使える見た目にしようと思ったんです」
尖り具合の絶妙さにも注目したい。安心感を重視しているからこそ、恐怖感を与えることがなく、それでいて「緊張感」を保った形。しかも、上げ下げしたときに手が滑らないようくびれ部分も工夫している。洗練されたオブジェとしてのフォルムでありながら、ダンベルとしての機能も満たしているのだ。
もうひとつ重要なポイントは、左右非対称であること。澄川さんのアート志向を象徴する曲線を効果的に活かすことで、オブジェとしての価値も上げている。左右対称にできているダンベルが多いが、トレーニング器具としては持ちやすくて重さが確保できれば問題ない。「今、だんだんやりたかったファインアートに近づいている」との澄川さんの言葉は、アートとデザインを融合させるプロダクトを生み出している自負から出ているに違いない。
Paragraph 03
実は、画期的なデザインで世界的な賞も受賞したダンベルは、澄川さんが卓球台をデザインするきっかけともなった。ドイツのスポーツ用品展示会に出展したところ、それを見た卓球台メーカー「三英」の社長からオファーがあったという。
通常の卓球台が4本足であるのに対し、従来になかった「X型」で滑らかな曲線を持つ脚部が印象的な作品。ここにも、ダンベル同様に常識にとらわれない澄川さんの思考がある。自身のFacebookで「支える」という漢字の形から発展させたことを明らかにしているが、もともとはテーマとしている曲線がアイデアの軸になっていると話す。
「『日本らしさ』を打ち出すこと、そして東日本大震災からの復興の願いを込めることが、三英の社長さんの思いでした。だから、確かに『支える』は当初から重要なキーワードとしていたんです。でも、その起点となったのは卓球のボールの動きでした」
ボールの動きが描くカーブ。ボールを打ち合う卓球競技は、そのカーブが相対している様子と重なる。競技の本質を体現するとともに、「支える」というコンセプトも表すことで、メッセージ性さえも内包したデザインとなっているのだ。当然、ボールの動きを表す曲線が肝となる。
「楕円や双曲線など、曲線にもいろいろあります。でも、躍動感や緊張感のあるボールの動きは、放物線だろうと思いました」
ところが、放物線は手描きでは表現できないと澄川さんは説明する。ではどうやって生み出すのかと聞けば、CADを使っているのだとか。
「ちょうどいい線というのは、感覚的にわかるわけです。でも、手描きのラフスケッチではできないので、感覚をCADで再現しています」
澄川さんは、その感覚を書道にたとえた。二度描き禁止の書道がラフスケッチであるのに対し、何度も修正できるのがCADというわけだ。とはいえ、その微調整にはかなりの労力を要する。この卓球台も、構想は短時間で固められたものの、曲線の微調整には何日も費やしたと振り返る。
「個人的には、オリンピックの試合のリプレイでボールの軌道が出たとき、同じカーブなのを確認できて『やった!』と思いました」
対象の本質を見極める目、アート志向をベースとした感覚の鋭さ、そしてデザイナーとして培ってきたテクノロジーを駆使できるスキル。今までになかった卓球台は、どれが欠けても実現できなかったのである。
Paragraph 04
まったく新しいプロダクトであるだけに、澄川さんのデザインした卓球台を生産するにはかなりの苦労があった。デザインの原型は1週間程度でできたそうだが、試作を繰り返して完成に至るまでに2年以上かかっている。
「振動が起きたり、木の歪みやねじれが発生したりとトラブルが続出しました。卓球台でそんなデザインはなかったわけですから、板の厚みや強度、固定方法などあらゆることを検討し尽くす必要がありました」
鉄骨などで補強したこともあったが、どうしても妥協できなかったと澄川さんは振り返る。
「最初のプレゼンでリアルなCGを見せていますので、関係者全員が『これじゃない』と思うんですよ。ですから、1台試作するのに3ヵ月くらいかかってしまうんですが、5台はつくりました」
より質の高いプロダクトを生み出すためには避けられない工程ではあるが、澄川さんはデザイナーに課せられる責任の重さを痛感すると語る。
「デザイナーは、ある意味で『船頭』のような役割なんです。間違った船頭だと、極端な言い方ですが集団自殺みたいなことにもなりかねません。正しく生き残るルートを照らさなければならないというのは、常に意識しています」
その意識を形作ったのは、ソニーでの経験だろう。たとえ20代のデザイナーであっても、プレゼンテーションが通った瞬間から会社全体が動く。製造ラインから営業、広告などありとあらゆる部署が何万人規模でそのプロジェクトに携わり、世の中からの反響も大きい。「その醍醐味は格別だった」と澄川さんはいうが、プレッシャーの大きさもかなりのものだったに違いない。
だからこそ、ネガティブな要素を徹底して排除し、安心感を与えるデザインを大切にしながら、「攻め」の姿勢も忘れない。印象に深く残ったのは、次の一言だ。
「似たようなプロダクトをつくる意味はないと思っています。それで価格の安さを実現できたとして、その会社は多少儲かるかもしれませんが、そのプロダクトを取り巻く業界の成長は促せませんから」
業界の成長というとビジネス的な観点だけに思えるが、澄川さんのプロダクトデザインがもたらすのは、経済的なメリットだけだろうか。たとえばダンベルは、新たなライフスタイルやヘルスケア文化を生み出すきっかけになっているだろう。「あれで試合がしたい」との選手の声が多く寄せられているという卓球台も、卓球というスポーツ文化を変えていく可能性に満ちている。単なるビジネスツールではなく、社会を豊かに変えていく――。プロダクトデザインが果たすべき役割がそこにあることを、澄川さんの作品は示唆しているのではないだろうか。
TEXT:高橋秀和