MORE THAN PROJECTではパリのインテリア・デザイン国際見本市「メゾン・エ・オブジェ」に単独出展
「脇差」のプロジェクトを進めつつ、堅田さんが取り組んでいたのがマルナオとのMORE THAN PROJECT「MARUNAO, to the world」。1年間のプロジェクトで1,000万円の売上を達成するなど数字上でも一定の成果を挙げたが、堅田さんは別の視点でも手応えを感じていた。
「ほかのプロジェクトの人ともいろいろ話をする機会があったんですが、燕三条ほど『横のつながり』がある産地はないんじゃないかと思ったんです。燕三条は、私が来たての頃はデザイナーに対する不信感こそ感じましたが、企業間の情報交換は至ってオープン。歴史的にもそうですが、同業種であっても、お互いのノウハウを分け合うことに大きな抵抗感もありません。お互いに困っていることがあればすぐ紹介し合いますし、海外にも一緒に行ったりします。燕三条で固まっているわけでもなくて、他の地域から企業さんがやってきてもスムーズに受け入れる土地なんです」
企業間のフラットな関係性は、メーカーだけに限らない。加工業者も問屋も、燕三条では平等な関係を築いているという。
「そもそも、燕三条では下請けという呼び方は嫌われます。技術ある加工屋さんが多いので世界から仕事を受注していて、しっかりお願いしないと断られてしまうんです。仕事をあげる感覚ではなく、『自分たちにない、できない技術だから、お願いをする』というスタンスなんですよ。私はデザイン事務所時代に、大手が下請けを叩く光景を日常的に見てきたので、それには驚きました。問屋さんに関しては、マルナオさんのように百貨店と直接取引をするメーカーも増えているので、マージンを確保するだけでなく、問屋さんを通したいと思わせる価値を提供しないといけなくなってきていると思います」
燕三条が柔軟性と多様性に富んだものづくりの街であることがよくわかるエピソードだ。外部の血である堅田さんを快く受け入れて育て上げたのも、企業間のコラボレーションを成立させることができたのも、そうした下地があったからではないだろうか。MORE THAN PROJECTに参加することで知ったこの燕三条の優位性を、堅田さんはもっと広く活かしていきたいと考えている。
「今後、人口が減っていくのは確実なので、国内市場がどんどんシュリンクしていくでしょう。でも、ノウハウがないのに海外展開をするのはリスクが高すぎますから、躊躇している企業さんは多いと思うんですよ。また、『売れる製品』をどうやって生み出したらいいのか行き詰まっている企業さんもあると思います。そうした企業さんや産地の方に、ぜひ燕三条へ来てもらって、話を聞いてもらいたいと考えるようになりました」
中小企業の海外展開をスムーズに導く、ハブのような存在。それが、今後堅田さんが目指す燕三条の姿だ。決して“上から目線”で教えるという意味ではない。次から次に生まれてくる課題を解決し続けるには、外部から上質な刺激を受けることも大切だということだ。「横のつながり」がもたらす効能を肌で感じてもらいながら、同じ中小企業、同じものづくりの街として相談相手になる。その取り組みが、燕三条にとっても飛躍を続ける原動力になると感じているのだろう。
「大企業は回さなければならない血液量が大きいので、市場を確保するのは大変だと思います。でも、中小企業は本来機動力があり、ブランドも発信しやすいので、ニッチなところで支持されれば、十分な売上を確保できます。本当はシンプルな課題なのに、当事者だから気付かないことも多いので、ほかの産地を見るのは効果的だと思うんです」
堅田さんは、企業間コラボレーションを成立させることで突破口を開いた。しかし、コラボレーションありきで課題解決を目指しているわけではない。むしろ、「安易なコラボはするべきではない」と断言し、企業によっては新たなプロダクト開発が必要ないと判断することや、作業工程を改善するのみで課題を解決するケースもあるという。企業にとってベストな方向を見出し、最短で解決する方法をいかに探るか。ある種オーソドックスなこの命題を解き明かすきっかけが得られる街として認知されたとき、燕三条はさらにスケールの大きなものづくりの街になっていることだろう。
TEXT:高橋秀和