2017.03.22
崩壊寸前の産地を「播州刃物」に再生して海外販路を開拓【前編】
山積みの問題に直面! 本質的な課題はデザインではなく意識改革だった……。
山積みの問題に直面! 本質的な課題はデザインではなく意識改革だった……。
2017.03.22
山積みの問題に直面! 本質的な課題はデザインではなく意識改革だった……。
山積みの問題に直面! 本質的な課題はデザインではなく意識改革だった……。
1987年兵庫県生まれ。大阪芸術大学デザイン学科卒業。2011年「合同会社シーラカンス食堂」を地元の兵庫県小野市に設立。播州刃物や播州そろばん、石州瓦などのブランディングから商品開発、地域財産を世界市場へ向け「伝える」ことに注力した販路開拓に取り組んでいる。
Paragraph 01
「新しいハサミをデザインして欲しい」
小林新也さんが地元の組合から刃物産業の再生に力を貸して欲しいと言われたのは2013年1月のこと。地元とは兵庫県小野市のことで、約250年前から続く家庭用刃物の生産地だ。といっても、産地としての歴史は長いが、当時知名度は低く、出荷額は全盛期の50%以下に落ち込んでいた。
この物語の主人公である小林さんは、24歳で「シーラカンス食堂」というデザイン会社を小野市に立ち上げ、地元のもうひとつの産業である播州そろばんの新商品をつくり、伝統技術の新たな魅力を引き出した人物だ。地元でカフェを運営していることもあり、ちょっとした有名人で、「そろばんが再生できるなら刃物も」と小林さんに白羽の矢が立ったのだ。そして、はじめに言っておくと小林さんは、“ぐいぐい踏み込む行動の人”だ。
「刃物のことを知らなかったので、『ちょっとみなさん飲みに行きませんか?』と、組合のおっちゃんや職人さんを飲みに誘ったんです。で、仲良くなるうちに作業現場を見せてもらうのですが、正直、この町に生まれ育ったのに刃物の工場が近所にたくさんあることも知らなくて……」
小野市の刃物産業は、問屋からの依頼で商品をつくって問屋に卸す、いわゆる“下請け産地”だ。地元の特産品として刃物を扱っているお店は少ないため、住んでいても刃物を意識することは少ない。そして、初めて工場を見た小林さんは感銘を受ける。「刃物凄いなと」
「何が凄いって、ハサミの美しさ。自信なさげにデザインを依頼してきたからどんなものかと思ったら、『なんだ、凄い物があるじゃないか』って、素直に思ったんです。それはハサミを見れば誰でもわかると思います」
刃物はすべて70歳を超える職人の手作業でつくられていたことも驚きだった。
「手がメッチャ大きいんですよ。傷だらけだけど血は出ていない、そんな職人の手を初めて見て、『なんだこれは?』って驚きました」
同時にひとつの疑問が浮かぶ。
「なぜ生活圏内にあったのに、今まで刃物のことを知らなかったのか?」
小林さんのなかで大きな問題意識が生まれた。
*1
明治42年創業、兵庫県小野市を拠点とする伝統工芸品、播州そろばんの製造販売業者のひとつ。
株式会社ダイイチ
住所:兵庫県小野市垂井町734
TEL : 0794-62-6641
FAX : 0794-62-3530
http://daiichi-j.com/
Paragraph 02
組合の人や職人らと飲むフィールドワークは続いた。むろん地元の刃物業界の内状を知るためだ。そのなかで小林さんは山積みの問題にぶつかる。例えば、後継者問題。
「職人さんに『後継者いないんですか?』って聞くと、『だいぶ前に息子に断られた』って返答で、そのだいぶ前ってのが40年前……。しかもとっくに諦めたみたいなリアクションで、『別に俺の世代で終わってええやん、何があかんの?』、みたいなことを平気で言うんです」
職人の投げやりな態度に戸惑いを覚え、何かがおかしいと感じた。
「刃物って道具をつくる道具でもあるから、いろんな手工業を支えているはず。その刃物づくりで生計を立てて、子どもまで育て上げたのに、それに対して『別にどうでもいい』って扱いをしている。明らかに職人がひねくれてしまっているんです」
ひねくれた理由には、古いしきたりが残る問屋と職人の上下関係にも原因があった。
「みなさんと飲んでいると、自分より20歳くらい年上の職人を問屋さんが呼び捨てにしていて、会話の節々で職人より問屋のほうが立場が上なのは明らかでした」
仕事の流れも問題があった。問屋にオーダーをもらって問屋に卸して、それで終わり。そんな仕事を永遠と繰り返してきたから、ひねくれた。小林さん曰く、「単純にお客さんからのありがとうっていう言葉を聞いてこなかったんじゃないか」と。
Paragraph 03
後継者不足は職人だけではない、問屋も材料屋も同じ問題を抱えていて、しかも当事者はそれを問題と思っていないフシがあった。
「後継者をつくることがいちばん重要だと考えました。それも技術を伝承する目的だけじゃなく、若者を産地に呼ぶことが凄く大切なんです。そのためには産地の方たちの意識を変えていく必要がある。『もう終わってもいい、しょうがない』といった気持ちではなく、『未来に残したい。後継者をつくろう!』と前向きにならないと、産業が終わってしまうと感じたんです」
それにしても、なぜみんな揃って後継者がいないのか? 答えは明白だった。
「地元で売られている刃物の値段を見てびっくりしたんです。『めっちゃ安い……』って。握りハサミが1,000円くらいで売っているんですよ」
価格が安い原因も飲みのフィールドワークから聞き出した。
「産地ではずっと前から値下げしかやってこなかったんです。ここで刃物の産業が大きくなったのは生産量が必要となったからですが、あるとき、日本の縫製工場や手工業が、工場ごと中国に変わって、一気にお客さんがいなくなって衰退し始めた。同時に量産品のハサミが入ってきて」
日本の刃物の良さは、研ぎながら長く使えることで、使い捨ての刃物とは別物。だが、産地では使い捨ての刃物と価格競争を行った末、ひたすら値段が下がり続けてきたのだ。
しかも、安くなっても変わらず手作業でつくるから、職人は儲からずに忙しい。そして職人の数が減り、ひとりの職人に作業が集中する。まさに負のスパイラルだ。
「値段を上げるしかない、これが唯一すべての底上げ活動だと気づいたんです」
儲からない産業には若者が寄り付かない。刃物産業に関わるすべての人が儲かるためには単価を上げるしかなかった。そのためには刃物の価値を上げる必要があった。
*1
昭和30年に創業、刃物の産地である兵庫県小野市にて金物・刃物の製造卸業を手掛ける。
株式会社タナカマイスター
住所:兵庫県小野市大島町250番地
TEL:0794-63-5688(代表)
FAX:0794-63-2282
http://www.rakuten.co.jp/kakashiya-mi/index.html
Paragraph 04
小林さんはさらに考えた。そもそもなぜ新しいハサミのデザインを依頼する流れになったのか? これも答えは明白だった。今の商品が売れないから新しい商品をつくって新しいお客さんを得たい、である。
とはいえ、これまで若者向けに刃物を売ったことはない。産地では新たな販路を見い出すことも、新商品をつくることもなく、同じ問屋に卸す作業を何十年と繰り返してきたのだ。
「そのせいで『商品が売れない=いまの商品が若者に受け入れられない』と思い込んでいたんです。でも刃物が悪いわけじゃない。じゃあ何のせいにしてるかって言うと、デザインのせいにしていたんです。『それ違うんじゃない?』って思ったんです」
新商品をつくっても、販売する力やPRする力はないのは明らかだった。
「新商品をデザインしても本質的な解決にはなりません。すでに素晴らしい物があるのに、別で新しい物をつくって高く売ったら、今までの刃物を否定することになってしまう。やるべきは地元の誇れる刃物の価値を再評価すること。シンプルにいまある物をブランディングし直そうと思った」
といっても、今ある商品のパッケージを変えて値段を高くしても、昔からの販売方法や卸先などが根付いているため、中身が同じで価格が高くなっただけに見えてしまう。必然的に国内で販売するのは難しい。ならば、未開拓の海外にブランディングを変えて、新商品として売り出そうと考えた。それも物づくりを“わかっている国”、パリを目指そうと。
海外進出という目標が決まり、そこから逆算してデザインワークを考えた。
Paragraph 05
「割とパッと思いついたんです、蛇腹の形式を」
この蛇腹状でさまざまな形の刃物を“一度に見せる”ことがブランドイメージで、すべてのデザインの根幹でもあった。
「播州の刃物が認知されていない理由は『視点がない』からです」
実は同じ小野市でつくった刃でも、裁ちバサミは裁縫系の店、剪定(せんてい)バサミはホームセンターと販路が違い、多彩なジャンルの刃物が並ぶシーンは存在しなかった。小林さんは、それら「点」のようにバラバラに売られていた刃物を播州刃物として一同にまとめて「面」で見せようと考えた。「商品群が播州刃物です」という、新たな視点をつくったのだ。
「このデザインなら海外の人にも言葉を使わず、ハサミの美しさが伝わるはず。そして、世界市場で価値と価格を上げて販売し、日本にも浸透させることを考えると、クラフト感よりもラグジュアリーやモダンな方向に持っていったほうがいい。でも、どこか日本らしさを感じさせるような縦長の短冊状のデザインにしたんです」
これは後の展示会やパンフレット、ウェブサイトなどすべてのデザインのベースとなる。ビジュアルやコミュニケーションをひとつのデザインワークから設計していく手法は、デザイナーである小林さんならではといえる。
デザインの根幹が決まると同時に播州刃物というネーミングが定まった。
Paragraph 06
ブランディングは決まった。次にやるべきことは……説得である。というのも最初のオーダーが「新しい刃物をデザインして欲しい」だったので組合側は、小林さんが新しいデザインを考えてくると思っている。
「僕は蛇腹のアイデアスケッチを見せて、すでにある物が素晴らしいからこれでいきましょうって、推しまくったんです。その際に追加で提示したのが『パリの展示会に出ましょう』。でも、『お金もないし、補助金もないし』と、誰も乗り気ではなくて……」
金銭的にもステップ的にも、いきなりのパリは現実的ではないと考え、国内の見本市「インテリア ライフスタイル」の出展に軌道修正。しかし、組合側は未だノリ気ではなかった。
それでも何度も小林さんが説得を続けた結果、遂に刃物組合の理事長が「小林くんに任せるから」と、出展などの予算を都合してくれることに。
そこから先は話が早かった。6月の出展に向けて(この時点で3月)、ビジュアルイメージをつくるため、知り合いのカメラマンに頼んでモダンな刃物のビジュアルを撮影し、小林さんがハイエースで什器を積み込んで納品した。
そして、2013年6月「インテリア ライフスタイル」は開催した。その際に小林さんは組合や職人にひとつだけ約束を取り付けていた。
「必ずブースを見に来てください」と。
当日、約束通りブースには産地の人たちがやってきた。そこには播州刃物が美しくディスプレイされ、多くのバイヤーたちが興味深く手に取っていた。外国人のなかには『beautiful!』と、絶賛する声も。
「そういうのをナマで見て感じたら意識が変わると思いません? 百貨店の若い女性バイヤーとかが興味を持って質問とかしてくれたら、嬉しくてたまんないじゃないですか。職人さんも『そんなことも知らんの?』みたいな感じで、ぶっきらぼうに説明をしながらも、凄く活き活きしていて」
作戦は成功した。
産地の人たちは初めて自分たちがつくった刃物が一流と評価され、興味をもってもらえることを実感したのだ。“成功体験”を得たのである。
加えて、雑誌『家庭画報』の国際版である『家庭画報 International Japan Edition』から取材のオファーがあり、雑誌で取り上げられる。また、パリ・デザインウィーク中に開催される、ポテンシャルの高い日本製品をセレクトした展示会、「Japan best」の出展にも誘われる。さらに、経産省が取り仕切る日本の物作りを応援するプロジェクトからもお誘いがあるなど、初の出展で狙っていた以上のアクションがきた。小林さんは大きな手応えを感じた。
その後のミーティグにも変化が現れた。
「みなさんテンションが高くて、前よりも声が大きくなっていて。ダメ元で次はパリに出店したいと話をしたら、『パリは行ったほうがええやろ~』みたいな(笑)。無条件であっさりとパリ行きが決定したんです」
展示会での“成功体験”は、産地の意思を統一し、活気を与えた。そして9月にパリで行われる「Japan best」への切符を手にすることとなる。
ここから播州刃物の海外遠征がはじまるのだ。
さて、“ぐいぐい踏み込む行動の人”、小林さんの奮戦記はここからが真骨頂。
だって英語も話せないのに欧米各地を行脚して、研ぎの実演を始めてしまったりするのだから……。
TEXT:藤井たかの
*1
日本最大、ライフスタイル系の国際見本市「インテリア ライフスタイル」
アジアを牽引する、インテリア・デザイン市場のための国際見本市。国内外のハイエンドなインテリア・デザインアイテム、トレンド、キーパーソンを結集し、新しいライフスタイルを提案している。ドイツ・フランクフルトで開催される世界最大級の国際消費財見本市「アンビエンテ」、家庭用・業務用テキスタイルの国際見本市「ハイムテキスタイル」のふたつを母体とする。海外の有力プレスやバイヤーも来日し、日本、アジアのキーイベントとして注目を集めている。
次回の開催はは2017年6月14日(水)-16日(金) 会場:東京ビッグサイト西ホール
インテリア ライフスタイル
日本・東京
会場:東京ビッグサイト
開催時期:毎年6月開催、3日間開催
http://www.ifft-interiorlifestyleliving.com/