2017.06.09
「価値の無いもの」を「お金に換えられない贅沢」に
りんご農家の挑戦
青森県弘前市のりんご農家の長男として生まれるも、農業への関心はなく、上京してテレビ番組の制作をしていた高橋哲史さん。あることをきっかけにりんご農家を継ぐ決意をし、弘前にUターン。現在では、りんごのお酒「kimoriシードル」の企画販売をはじめ、りんご畑体験ツアーやグランプリ企画、お試し移住ツアーなどりんごを軸にしたさまざまなプロジェクトに携わる高橋さんにお話を聞いた。
2017.06.09
りんご農家の挑戦
青森県弘前市のりんご農家の長男として生まれるも、農業への関心はなく、上京してテレビ番組の制作をしていた高橋哲史さん。あることをきっかけにりんご農家を継ぐ決意をし、弘前にUターン。現在では、りんごのお酒「kimoriシードル」の企画販売をはじめ、りんご畑体験ツアーやグランプリ企画、お試し移住ツアーなどりんごを軸にしたさまざまなプロジェクトに携わる高橋さんにお話を聞いた。
Paragraph 01
―高橋さんが、今のようなスタイルでプロジェクトを進めるようになったきっかけは?
実はもともとはりんご農家を継ぐつもりもなく、関心もなかったんです。畑にも行かなかった。弘前でりんご農家は「割に合わないキツイ仕事」と捉えられていて、価値があるものだとは思っていないんです。りんごはありがたく買って食べるものではなく、秋になると「もらえるもの」なんですね。
―ここから見事なりんご畑が見えます。初めて見る人は圧倒されますね!
例えば、(畑を指差して)そこにあるりんごの木は樹齢50年。前の前くらいの世代の人たちが植えて、ようやく我々が収穫できている。逆に、あの細い木は樹齢4,5年。あれが一人前になる頃には我々はもういない。次の世代のためのものです。
―そんなに長い時間がかかるものなんですね。
樹齢4,5年の木でやっと1個収穫できます。一人前のりんごの木になるには、20〜30年かかる。このりんご畑だって、気の遠くなるような時間と労力をかけて作り出したもの。大金持ちがこれを東京で真似しようと思ってもできないし、換えられない贅沢さがあります。地元では何でもないものが、実はものすごい価値を持っているものだということを知ってほしい。そのために「まずは畑に来てもらう」必要があると思いました。
Paragraph 02
―りんご農家を継ごうと思われたのは、どうしてでしょう?
母が病気になり、自分は収穫を手伝うために帰省するようになりました。母はその後亡くなりましたが、死ぬ間際までずっとりんごを気にしていたことが心に引っかかっていて。「なぜ、そこまで? りんごの価値って何なんだろう?」というのをずっと考えていました。実際に自分でやってみると、ものすごい手間をかけないとできない作物だということに気づいたんです。
―ものすごい手間とは、具体的にどのような?
りんごは、どの枝を切るかで味が変わるんです。剪定で味の7割が決まる。当時の自分のような初心者がやると、絶対切ってはいけないような所を間違って切ってしまう。すると、りんごがおいしくならないだけでなく、木が死んでしまうこともある。「なんでこうなったのか?」と、先生や先輩の所に剪定を見に行き、戻って試す。また失敗する。そんなことを3〜4年繰り返しました。
―剪定次第で、そんなに違うんですか?
あるとき、「なんか上手くいったな」「いい感じだな」という木が1本出てくるんですよ。そうすると、木もおいしい実をつけ始める。たくさんある木の中でも、その1本が特別な1本になる。別の畑に行っても「あの木がどうなっているかな?」と気になって仕方がない。ようやく「母が病気で寝ているときに言っていたのはこういうことだったのか」とわかり、それからは面白くなってきましたね。
Paragraph 03
―りんご農家に対する思いは、どのようなものですか?
りんご農家は、周りからキツくて割に合わないと見られていますが、それはちょっと違くて、実はどの農家も仕事が好きだからギリギリまでやっているんです。そういことを地元では理解されていない。「このままでは将来消えていく。何とかしたい」という思いはずっとありました。
―その思いを、どのように形にされたのですか?
平成20年に大規模なヒョウの被害が出て、多くの農家はりんごを売ることもできず、最後は仕方なく穴を掘って捨てました。傷ついたりんごでも有効に使えないか?という思いや、将来の不安もあり、りんごの価値を上手く伝える方法を考えた結果、まずは地元に人が集まれる場をつくろう、そこでりんごの素晴らしさを知ってもらい、楽しんでもらおうと。
「人が集まる場所に何があれば良いか?」と考えた時に「そうだ、お酒があった方が楽しいぞ」と思いつき、「りんご畑の中でりんご農家がつくるりんごのお酒」というプロジェクトがスタートしました。
―そのプロジェクトはスムーズに進みましたか?
最初は、自分よりずっと上の年代の同じりんご農家の人たちと3人で始めました。でも、他のりんご農家にそのプロジェクトの話をしても、「販路はどうする?」「作り方はどうする?」と言われて、無理という意見が大半。でも自分たちは絶対必要だと思ったので、あちこちで話をしているうちに仲間が増えていきました。そもそも自分自身、お酒造りの知識は全くのゼロ。やろうとは言ったが、じゃあどうしたらいいんだ?という所からスタートして足掛け6年、平成26年にようやく「kimoriシードル」として商品化ができました。
Paragraph 04
―「kimoriシードル」以外にもさまざまな企画を立ち上げていますね。
「りんご+旅行」のツアー企画も実施しています。りんごができるまでの過程は、消費者が思いもよらないことを結構しているので、そういった所を見学・体験しながら、お酒を飲んでもらったりしています。すると、単に「スーパーで買っていたりんご」から、「りんごがある暮らしはこんなに豊かで素晴らしい」という見方に変わってくる方がいます。最近では、グランピング※の企画も始めていますが、りんご畑で過ごす時間は、本当に贅沢な時間だと思いますよ。
※グラマラスとキャンピングを組み合わせた言葉。贅沢で快適なキャンプを楽しむアウトドアのスタイル。
―りんごについてよく知ると、りんご農家をやってみたいという人も出てくるのでは?
ええ、職業としてりんご農家に興味を持っている方もいます。でも、自分のように親から受け継いだ畑があれば多少失敗しても食べていけますが、ゼロからのスタートだと、一人前になるまで10年くらい安定収入が得られません。新規で始める道が今のところほぼ無い状態です。それなのに実際、後継者がいないので、あと10年、20年したら本当にりんご農家は半減してしまいます。
―りんご農家の行く末は、移住希望者の人たちにかかっているのでしょうか?
基本は外から来てもらうしかないと考えています。弘前に来たい人と受け入れる側をどうマッチングさせて、入り口をつくってあげるか? その最初の切り口として、青森県と協力して移住お試しツアーを計画したり、東京で移住希望者へのオリエンテーションなどを開催していきます。これまでの「移住は移住」「農業は農業」ではなく、行政サイドも含めて地域全体の課題として動かないといけないときが来ています。
Paragraph 05
―まったく知らない土地への移住となると、不安も大きいですよね?
この地域は自分もそうですが、教えてくれる人がいっぱいいます。一人新しい人が入ってくると、地域の人が育ててくれる、そういう土地柄なんです。弘前は冬に雪が降り、夏に雨も降るので、実はりんごには全然向いていません。元武士が、明治になって藩が無くなり失業したときに、どうやって食っていこうかと考え、始めたのが果樹の栽培でした。
―そうだったんですね。
だから、りんごづくりは一筋縄ではいかないということで、教育に力を入れたんです。弘前には「りんごづくりは人づくりである」という精神がいまだに脈々と受け継がれています。農家は普通、それぞれがライバル、競合だから自分の技を教えないという考えもあります。ところが、弘前は誰にでも教えてくれる。逆に、それで発展してきたんです。
―移住希望者の人には、大きな支えになりますね。
楽しく、希望を持ってやっている若手りんご農家の人たちはたくさんいます。こういう現状の中で、なぜ希望を持っているのか?我々はそこにはしっかりとした信念があるので、移住希望者の方には、ぜひ聞いてもらいたいですね。お試し移住などの企画を進めるうちに、「ゼロから始めたりんご農家」というモデルが一人でもできれば、「ああいう始め方もあるんだ!」と、他の人が続くことができると思うんです。